神の御心が実現する神の時があります。イエス様は十字架で死なれ、全人類の罪を贖(あがな)うため、この地に来られました。これは、神の御心でした。しかし、生まれてすぐに死ぬのではありませんでした。10代の時でも、20代の時でもありませんでした。神の時は、あらかじめ定められていたのです。
聖書には、「あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎(とが)を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである」(ダニエル書9章24節)と書かれています。その時が来るまで、イエス様は「わたしの時は来ていない」と言い続けられました。
すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」(ヨハネの福音書2章4節)
しかし、その時が来ると、イエス様は初めて「時が来た」と言われたのです。
イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。」(ヨハネの福音書17章1節)
旧約聖書に登場するヨセフは、誇大妄想と思われるような大きな夢を見ました。しかしそれは、神の御心でした。そして、10歳でも20歳でもなく、30歳の時にそれが実現したのです。
ヨセフは、兄弟たちから半殺しの目に遭い、奴隷として売られ、その主人の妻からは濡れ衣を着せられ、牢屋に入れられてしまいました。牢屋では、2人の囚人の夢を解き明かしてあげますが、出してもらえるように伝えてほしいとお願いしても、忘れ去られてしまいます。
しかしある日、その時は来ました。王が、理解不能な夢を見て悩んでいるときに、ヨセフのことがやっと思い出され、ヨセフは牢屋から出されました。そして、王の夢を解き明かすことができたことから、エジプトでナンバー2の地位に引き上げられ、かつて見た夢が実現したのです。
人生において何より大切なことは、神の御心を知ることです。しかし、その御心が実現する神の時が来るまでは、待たなければならないのです。焦りは禁物です。
待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。(詩篇27篇14節)
あなたに対する神の御心を知り、それが実現する神の時に備えながら、希望を持って生きていきましょう。
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