最初に父のことを書こうと思ったときには、父は脳内出血で倒れたとはいえまだ反応がある状態でした。それが脳梗塞を併発し、思ったより麻痺の進行が早く、しかも意識はあるので、目がいかにも無念そうです。
2016年09月24日21時43分
ある農家を訪問したら、広い庭に軽トラックが置かれている。真っ白い新車だけれど、タイヤは四つとも外されて、地面に直接乗っていた。あら? と横目で見ながらチャイムを押し、応接間に通されると、テーブルや椅子が横倒しになり散乱している。
2016年03月31日23時29分
親戚中で一番品には欠けると、幼い私でさえ感じていた菊江おばさん。でも、小・中と成長するにつれ、私は彼女のことがだんだん好きになっていった。彼女はあけっぴろげで、子煩悩だった。
2015年03月22日6時26分
50年ほど前、目の前をゴキブリが走った。キングサイズの見事なゴキブリ。と、素早い手がそのゴキブリを捕まえ、ボキッと折ってごみ箱に捨てた。その間、わずかゼロコンマ何秒の早業。
2015年03月08日16時12分
中川義雄さんは、1987年1月19日に天に召された。由子さんは、お父さんのことをこう記している。
2015年02月17日9時55分
新垣牧師夫妻の願いは、中川さんを通して建てられた祈祷院が、もっと用いられることである。達也牧師は、天のお父さん(神様)が、なんでも備えて下さると自慢する。たとえば・・・。
2015年02月06日7時15分
さて、この辺でちょっといけずなことを書くと・・・。由子さんが結婚してからも私は時々お訪ねしていたが、中川義雄さんが達也先生にちょっとやきもち焼いているかなぁと思わないでもなかった。
2015年01月13日11時25分
こうして、由子さんが祈っていたビジョンの第1段階が実現した。次は由子さんの伴侶である。常識的に考えて、これは難問だった。第一に、由子さんや私が卒業したTCCは、所属する教団の信仰と少し違うのである。
2014年12月30日7時37分
しかしその2年後、由子さんがTCCを卒業、岩松キリスト教会に赴任する形で帰ってから、にわかに会堂・祈祷院建設が具体的になっていく。
2014年12月22日10時57分
まとまった資金がたまり、土地を買い取った時のことである。口約束の後、持ち主が言った。「中川はん、あんたのことはよう知っとるけん、契約書も金も、今日でのうてええ。また今度にしょうや」。その時、中川さんの心にするどく聖書の言葉が浮かんだ。
2014年11月24日16時56分
リヤカーでの行商が始まった。中川さんは、自分が人に良く騙されやすいので、どんな時も祈って神様の判断に従いながら衣料品を売って歩いた。
2014年11月10日6時54分
終戦間もない頃、中川義雄さんは病院のベッドにいた。見込みのない重症の結核患者を入れる部屋。そこに運ばれることは、死を意味していた。
2014年10月27日16時14分
昔、愛媛県の西の端で、高知県との境目あたりの町に、中川衣料品店というお店があった。そこの店長、中川義雄さんは、毎年4月が近づくと、新入りのパートを捕まえて尋ねる。
2014年10月17日7時23分