神様に直談判、道が開けた
山谷で伝道を始めて2年目のことでした。早天祈祷会で祈っていた時、目の前にこんな光景が浮かんできました。
――生ける屍のような無数の人々が、私の前に丸太のようにゴロゴロ横たわっている。ところが彼らはむくむくと起き出し、よろよろと立ち上がったかと思うと、見る見るうちに背筋をシャンと伸ばして散っていく。皆、どこに行くのだろう。一人一人に目を凝らして見ていくと、ある人は床屋になって、散髪のはさみを動かしている。ある人は大工さんになって、カナヅチで釘を打ち付けている。そして皆、安らぎの家庭を持っている――おやおやと思う間もなく、幻はパッと消えました。
旧約聖書のエゼキエル書37章には、古代ユダヤの預言者の一人エゼキエルが見た幻が記されています。彼は、神様の命令に従って、谷間に散乱している枯れた骨に筋肉や皮膚が生じるように命じ、神の息を吹き込みます。すると、命じた通り生き返るのです。
私が伝道を始めた頃の山谷の情景は、まさにその枯れた骨の谷と言ってもいいものでした。それにしても、私の見たあの幻は何なのだろう。どういう意味があるのだろう。いぶかしく思いながら祈り始めると、神様はこう仰いました。
―あの人たちの施設を建てなさい―
―えっ。でも、私にはお金がありません―
反射的に、そう申し上げてしまいました。私たちは、神様の導きをいただいていても、人間的な計算が先立ち、真っ先にお金のことを考えてしまいがちです。当時の私は、お金がないだけでなく電話も腕時計も持っていませんでした。外出中に時刻を知りたい時には、通りの店の掛け時計を覗き込みます。家で時刻を知りたい時には、テレビを見て確かめました。
その朝も、時刻を見るためにテレビをつけました。すると、たった今祈りの中で示されたビジョンとそっくりの情景が映っているではありませんか。それは、香港のアヘン中毒患者の更生施設の様子を紹介したニュース番組の一コマでした。3年間この施設で過ごし、心身ともに回復したら社会復帰していくという内容でした。
この映像を見たことによって、私のビジョンはよりはっきりしました。主は、「こういう施設を建てなさい」と仰っているのです。私は、その施設を仮に「よみがえりの里」と名付け、ビジョンの具体化を求めて祈り始めました。目に見える現実がビジョンと隔たっていても、ただ神様を信じ、「私は、どうすべきでしょうか」と、イエス様の御名によって祈り求めるなら、神様は必ず聖霊様によって答えて下さるのです。
そのようにして神の御声を聞き、御声に従うことが習慣として身に付いてしまいました。習慣とは、第2の天性です。聖霊様の語ることに敏感になっていくと、神様の答えをたくさんいただけるようになるのです。しかしそれ以後、このビジョンに対して、神様からは何の音沙汰もなく、20年以上もの歳月が流れました。
その間に海外・国内宣教の道も開かれ、「よみがえりの里」建設準備金が少しずつ与えられていきました。しかし、待ち望むことは疲れます。私はじれったくなりました。
―主よ。このビジョンをいつになったら成就なさるのですか。私がもっとおばあちゃんになってからだ、と仰るのですか。どうかあなたのご計画を早めて下さい―
切羽詰って心燃やして祈らなければ、神様は御手を動かして下さいません。1990年に、「ハーベスト・タイム」から出演依頼を受けた時は、「よみがえりの里」建設ビジョンが進展せず、神様に催促するために祈った直後でした(ははぁ、主がいよいよお立ちになったのだわ)。
それ以来、堰を切ったようにマスコミ報道が続き、山谷のことが全国、いや国境を越えてまで知られるようになり、たくさんの献品がいただけるようになりました。これは「よみがえりの里」建設の、布石の一つでした。神はマスコミを用いて、このビジョン実現に至る道備えをして下さったのです。そのことが、間もなく明らかになっていきました。
全国からの献品は、年間を通して途絶えることなく送られてきました。そのため、93年12月に入ると、献品を2つの教会にどんなに上手く収めようとしても入り切らなくなってしまいました。仕方なく、クリスマス前日まで、会堂前の路上と2軒先の空き家の前に、一時的に山積みして置くことにしました。すると、町内の人が警察に通報したらしく、間もなく警察から電話が入りました。
「道路交通法違反です。1時間以内に片付けなさい」
「明日のクリスマスには、全部片付きますから」と言っても聞いてくれません。
「はい、分かりました。申し訳ございません」
そう言って、何度も何度も電話口で頭を下げました。とはいえ、荷物を保管する場所などどこにもありません。こうなったら、神様に直談判するしかありません。
「主よ。ご照覧下さい。どうしますか。この会堂はもう満杯です。荷物を空中にぶら下げろと仰るんですか。早く広い土地を下さって、『よみがえりの里』を建てて下さらなきゃ困ります。これはあなたのご計画なんですから、ご自身で責任を取って下さい」
何と強硬な、と思われるでしょうか。でも神様に願い求める時には、通り一遍の口先だけの祈りでは伝わりません。幼い子がおもちゃを欲しがる時には、地団太踏んで泣き叫びます。そうなると、親も仕方なく買い与えるでしょう。それと同じです。
ちなみに聖書には、夜中に知人に「パンを3つ貸してくれ」と、しつこく頼み込んだ人に対して、「しきりに願うので」(ルカ11・8)仕方なく貸し与えた話が出てきます。
さて、山積みされた段ボール箱は、その後どうなったでしょう。ご安心下さい。私の伝道を支援して下さってきたある会社の倉庫に、クリスマス集会の直前まで無事保管できたのです。私がその会社に急遽連絡したからではありませんでした。たまたまその日、その会社の人が、用事ができてひょっこり訪ねてきて、事態を知って大至急取り計らって下さったのでした。
こうして神様は、絶体絶命の時に道を開いて下さいました。命懸けの祈りは、全世界、全宇宙を支配なさる神の御手を動かします。信仰とは、そのような力です。
しかし一件落着したものの、几帳面な主人は、連日届く山のような荷物の片付けに疲れていたうえ、警官に忠告を受けたことでショックを受けてしまいました。
「もう引っ越すしかない。この土地では伝道は無理だ」と言い出しました。もっともではあります。
その頃、教会の集会は日曜午前中の礼拝と、水曜の夜1時間ほどで終わっていました。その都度路上には3400人が500メートルもの長蛇の列を作ります。道の両側は車も人も十分通り抜けることができ、交通妨害にはなりません。皆、整然と並んで、静かに待っています。
集会後、私はボランティアの青年たちとともに路上を点検し、徹底的に清掃します。「立つ鳥跡を濁さず」で、世の模範とならなくては。給食の食べ残し、敷物代わりの古新聞や段ボール紙、配った古着等が放置されていれば片付ける。建物の陰に糞尿が残っていれば、バケツの水で洗い流す。人間誰しも、「出物腫れ物ところ嫌わず」なのだから、この人たちだけを責めることはできないと思います。
近所の方たちには、「いつもお騒がせしています」と挨拶してきました。「いえいえ、町中きれいに掃除していただいて」と言って下さる方もいます。その一方で、特にマイクで説教するようになってからは、苦情の電話がかかってくるようになりました。
この町には、新興宗教に入っている人が多いです。この会堂に移った当初、経文テープを町内に流して、伝道を妨げようとする人もいました。
―神様。サタンの口を閉ざして下さい―と祈ったら、いつの間にか経文テープの音は止みました。一頃は、私のメッセージが始まると、向かいの家々や両隣の家も、窓を開けて聞き入ってくれました。私の説教は絶叫だから、マイクを通すと隣の町内にまで響くらしいです。今まで、20数年も我慢して下さってきた隣人には感謝しています。
私は、山谷で伝道を始めてから、「気狂いババァ」「糞ババァ」等々、口にするのもはばかられるような、ありとあらゆる罵詈雑言を甘んじて受け、そのことを感謝してきました。イエス様が「あなたの敵を愛しなさい」「人を呪ってはいけません」「迫害する者を祝福しなさい」と仰っているのですから。
やられたらやり返せ、とばかり復讐するのは、神様の御心に背きます。それに、ホームレスの人々のためにささげた私たちの教会は、初めから迫害を受けるべくして受けるように定められているのです。
それにしても、こうなったら一刻も早く、「よみがえりの里」の建設を実現させるしかありません。私がこのように決断した途端、神様は立ち上がられました。神様は、既にご計画のうちにあることでも、その人が切羽詰った状態に追い詰められて、具体的に決断を下さないと、御手を動かしなさらないようです。(続く)
森本春子(もりもと・はるこ)牧師の年譜
1929年 熊本県に生まれる。
1934年 福岡で再婚していた前父の養女となる。この頃、初めて教会学校に通い出す。
1944年 福岡高等簿記専門学校卒業。義母の故郷・釜山(韓国)に疎開。
1947年 1人暮らしを始め、行商生活に。
1947年 王継曽と結婚。ソウルに住み、三男二女の母となる。
1953年 朝鮮戦争終息後、孤児たちに炊出しを続け、17人を育てる。
1968年 ソウルに夫を残し、五児を連れて日本に帰る。
1969年 脳卒中で倒れた夫を日本に連れ帰る。夫を介護しながら日本聖書神学校入学。
1972年 同校卒業、善隣キリスト教会伝道師となる。山谷(東京都台東区)で、独立自給伝道を開始する。
1974年 夫の王継曽召天。
1977年 徳野次夫と再婚。広島平和教会と付属神学校と、山谷の教会を兼牧指導。
1978年 山谷に、聖川基督福音教会を献堂。
1979年 この頃から、カナダ、アメリカ、ドイツ、韓国、台湾、中国、ノルウェーなどに宣教。
1980年 北千住(東京都足立区)に、聖愛基督福音教会を献堂。
1992年 NHK総合テレビで山谷伝道を放映。「ロサンゼルス・タイムズ」「ノルウェー・タイムズ」等で報道され、欧米ほか150カ国でテレビ放映。
1994年 「シチズン・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
1998年 「よみがえりの祈祷館」献堂。
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