1999年、宣教師親子を焼き殺した暴徒たちに対し、葬儀の席で妻グラディスは「彼らを赦(ゆる)す」と宣言した。彼女と娘のエスターはその後5年間インドに留まり、グラハムの遺志を継ぎハンセン病者たちに仕えた。報復ではなく愛を選んだ一家の献身は、インド社会に神の愛の火をともし、多くの人々の回心をもたらした。しかし、地に落ちた一粒の麦が結んだ実は、それだけではなかった。死んで実を結ぶ「一粒の麦」の物語には、さらに驚くべき続きがある。(第1回から読む)
2025年、インドのキリスト教界を揺るがす一つのニュースが報じられた。かつてグラハム宣教師と幼い息子たちを殺害した暴徒たちの一人が、イエス・キリストを受け入れ、キリスト教徒になったというのである。
男の名はスダルシャン・ハンスダ(通称チャンチュ)。26年前のあの冷たい夜、彼は、狂気する暴徒の一員としてジープを取り囲み、ステインズ一家の殺害に関与したのだ。当時まだ13歳の少年だった彼は、14年の実刑判決を受けたが、模範囚として約9年半の服役を経て釈放された。
刑期を終えて社会に戻った彼を待っていたのは、平安ではなく、深い苦悩であった。釈放後間もなく、日雇い労働者の貧しい父と、薪集めの母、そして2人の妹を失った。度重なる不幸に、彼は何が起こっているのか全く理解できなかった。独り息子も生まれた翌日に亡くなり、その後、妻も亡くなったのだ。罪の意識と孤独、そして絶望。かつて自分が奪った命の重みが、彼自身の人生に暗い影を落としていた。彼は一連の悲劇によって悲嘆と悲しみに打ちひしがれ、耐えられなくなり、酒に溺れ、精神的に不安定になっていった。
しかし、そんな彼を救ったのは、かつて彼が抹殺しようとした「イエス・キリストの福音」であった。ある日、彼は内側から響く「暴力を捨てよ、平和を求めよ」という不思議な声を聞いたという。彼は誰かに誘われたのでも伝道されたのでもなく、自発的に救いと平安を求めて教会を訪ねて来たのだ。しかも彼が門戸をたたいたのは、あのグラハム・ステインズとその息子たちが殺害されたマノハルプール村にあるバプテスト教会であったのだ。
そこで彼は、自分の罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として受け入れた。そして2025年4月、彼はバプテスマを受け、公に信仰を告白したのである。現在は再婚し、7歳と2歳の2人の息子が与えられ、毎週家族で礼拝を守っている。かつての殺人者は、今や「兄弟」として迎え入れられたのである。
事件の首謀者の一人が、昨年25年の刑期を終えて釈放された。釈放後、彼に会ったチャンチュは、その時のことをこう語る。「彼は私の改宗について尋ねました。私は、改宗は決して強制などではなく、私自身の決断であり、今では教会に慰めと平安を見いだしていると答えました」
チャンチュは、宣教師たちによって村々で強制改宗が行われていると非難するヒンズー教徒団体に対して「彼らはここで起こっていることを何も分かってません。強制改宗などここでは行われていないのです。私たちは皆、聖霊によって神の愛に触れられ、自分の意志で決断しているのです」と述べた。
グラディス夫人が涙と共に宣言した「赦し」は、単なる道徳的な言葉ではなかった。それは、最も硬く閉ざされていた加害者の心という土壌にまで浸透し、ついに「悔い改めと救い」という奇跡の実を結ばせたのだ。夫と息子たちの死は、死んで豊かな実を結ぶ「一粒の麦」となったのである。
この物語は、暴力に対して愛で、憎しみに対して赦しで応答するとき、福音はどれほどの力を発揮するのかを訴えかけてやめない。インドの地でまかれた一粒の麦は、今も生きて働き、人々の内に愛と希望をまき続けている。
ヒンズー国粋主義が台頭するインドで主の教会が守られ、迫害の中にある兄弟姉妹たちが、なおも和解の福音の灯火を掲げて前進するように祈ろう。ステインズ宣教師一家が示した「一粒の麦」の愛が、彼の地でなお豊かに実を結ぶように祈っていただきたい。
■ インドの宗教人口
ヒンズー 74・3%
プロテスタント 3・6%
カトリック 1・6%
英国教会 0・2%
イスラム 14・3%
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