暴力が支配するブラジル北東部の湾岸都市イリェウスのスラム街で、昼はタイヤ修理工、夜は牧師として働くアンデルソン。メディアが報じる注目を集めるメガチャーチがある一方で、彼らのような労働者階級の牧師たちが率いる50人規模の小さな教会こそが、ブラジル宣教の真の最前線となっている。(第1回から読む)
ブラジルの貧困層に広がるキリスト教について、外部のメディアはしばしば「繁栄の神学(経済的な繁栄と霊的祝福を過度に結び付ける)」だと報じる傾向がある。しかし、暴力と貧困が支配する周縁部の小さな教会で実際に起きていることは、そのような表面的な利益追求とは全く異なる。そこで語られる証しの中心は、宝くじに当たることなどではなく、「酒や薬物、ギャンブルなどの依存症からの解放」、そして「崩壊しかけていた家庭の回復」といった、庶民の生活の中の切実な人間性の回復なのである。
教会は、脆弱(ぜいじゃく)な環境に生きる人々に、神の前での「労働の尊さ」や「学ぶことの意義」、そして「家族を大切にする文化」を徹底的に教え込む。ある地元の牧師が「貧しい人々は、自分たちを社会から『拒絶されたゴミ』だと見るのをやめました。彼らは自分が『神の同労者』であることに気付いたのです」と語る。彼らは文字通り、物質的な豊かさ以上に人間としての「尊厳とアイデンティティー」をキリストにあって取り戻しているのだ。
これらの草の根の教会が社会に与える影響はあまりにも大きい。一部の人類学者は「もし彼らのような信者がいなかったら、この国に何が起きるか」と真剣に危惧しているほどだ。
「もし教会がなくなれば、ブラジル政府は5億人規模の精神病院を新たに建設しなければならないだろう」。ある牧師のこの言葉は決して誇張ではない。極度のストレスと対立が日常化している高紛争地域において、彼らが提供する絶え間ない若者向けの礼拝や家庭集会、そして路傍伝道は、人々のメンタルヘルスと社会の秩序を維持する「見えないセーフティーネット」となっている。
使徒パウロは言った。
あなたがた自身が知っているとおり、私の両手は、自分の必要のためにも、ともにいる人たちのためにも働いてきました。(使徒20:34)
アンデルソンのような指導者にとって、牧会とは説教壇に立つことではなく、人々の人生に「存在し続けること」なのである。「御国のために、いつでも用いられ、動ける準備のある者でありなさい」。日曜日の夜の礼拝をそう締めくくった数時間後、アンデルソン牧師は午前5時にはいつものように、再びタイヤ修理工場へ向かうための目覚まし時計で目を覚ます。
ブラジルの最も暗い周縁部において、真の福音は華やかなアリーナの中ではなく、油まみれの手と、危険な通りを歩く日々の忠実な足取りの中にこそ宿っているのだ。
ブラジルの名もなき教会のために祈ろう。国家が見捨てたスラム街で、薬物依存や家庭崩壊に苦しむ人々を救い出し、彼らの尊厳を回復し続けている小さな教会の働きが、聖霊の力によってさらに守られ、祝福されるように。
教会が提供している「セーフティーネット」が、終わりの見えない貧困と暴力の連鎖を断ち切り、福音の希望を届けるように。そして、身を粉にして働きながら、昼夜を問わず地域の人々に寄り添い続けているアンデルソンのような、何万もの労働者階級の牧師たちに、天からの豊かな報いと癒やしが与えられるよう、祈っていただきたい。
■ ブラジルの宗教人口
カトリック 72・8%
プロテスタント 18・8%
土着の宗教 5・4%
ユダヤ教 0・06%
イスラム 0・3%
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