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ヘルマン・ヘッセの宗教観

ヘルマン・ヘッセの宗教観―《魂の漂泊者》にみる宗教的遍歴―(3)

2012年1月6日17時40分
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板倉素子氏+
ヘルマン・ヘッセ+

[真の自己/《我(われ)がまま》/アートマン(真我)]

ヘッセは“Eigensinn (わがまま)”(1917) の中で次のように述べている。

私が大いに気に入っている徳が、一つだけある。それは《我がまま》…。たった一つの無条件に神聖な、自分自身の中の掟、「我(われ)がまま」なる「心」に従うのである。…神意にかなった我がまま…私が言うあの《我がまま》を備えた人は、お金や権力を求めない。…彼にとっては、自分自身の胸の中の静かな逆らい難い掟以外の何も生きていず、それに従うことは、安易な慣習に生きている人には果てしなく困難だ。だが、《我がまま》な人にとってその掟は運命と神性を意
味しているのである。(日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 編訳「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」2 臨川書店 2009)(*《》は筆者)

勿論ここに言う《わがまま》とは、勝手放題の我儘とは全く異なる。天に定められた自己の運命を真摯に受け止め、それに素直に従って生を全うすることである。ヘッセにとって《自己に生きる》とは、全ての桎梏から解き放たれた自由の中で、根源的な人生を生きることを意味している。天命を束縛と見なさずに、《真の自己》を生きる時、悩みと不安、困難、苦難を経て、いわば人生の酸いも甘いも知り尽くした上で、真剣な自己追求の結果、各人は各様の〈神〉を自己の内に発見すると言うのである。

全世界のあらゆる賢者は、仏陀もショーペンハウエルも、イエスもギリシャ人も、唯一つの智慧、一つの信仰、一つの思索を教えてきた。即ち、唯自己の中の神を知ることを。(『クラインとワグナー』拙訳)

恐らく終局的静寂に達するには、自己の悩みに切り裂かれて口を開けた魂の中に、結局は全世界を受け入れなければならないだろう。仏陀や全ての偉大な人物は、この道を歩いたのだ。…全体への復帰。苦悩に満ちた個我の否定と神化―それは即ち、全てを包含できる程に、再び魂を切り裂き押し広げることである。(『荒野の狼』拙訳)

そこには〈悟り〉の静かな境地が開けてくる。世界に向かって魂を押し開きオープンにし、身を投げ出すことによって与えられる〈自我〉は、自己に執着しない。ここでヘッセが、十字架上に身を投げ出し「自己に生きた」キリストを、「神の意志に生きた」と理解し、あるいは無我の境地に達することによって、「自己に生きた」仏陀を想起していることは明白であろう。

[無/空]

『クラインとワグナー』の中で、ヘッセは「一切の意味や意義が消滅する瞬間にこそ、人生は最も意義深くなるという奇跡」(拙訳)を語る。全体への復帰と統一は、裏を返せば〈無〉〈空〉と同一である。「名のない神」の項でも触れたが、全てであるが故に〈無〉と表現することを選んだ、いや選ぶしかなかったのである。これはインドの「0(ゼロ)の発見」の文化に深く根ざしているように思われる。古来0(ゼロ)の概念は、目に見えないもの、数えることのできない無限なるものを「ゼロ」、即ち「シーニャ(空)」と表現したインドによって発明された概念とされる。ヘッセの統一観にある無限に大きい包含性は、インド的なこの〈無〉〈空〉の概念と共通する。全ての肯定は全ての否定に等しい。インドにおいて絶対者は、無限であり無であり、是であり非なのである。

禅でいうところの「悟りの境地」とは、〈無〉であるが故に無窮の宇宙と一体になれることを意味する。0 = ∞ とはそうした「公理」なのだ。

[シッダールタ/オーム]

ヘッセの宗教観を最もよく表しているのは、45歳に著した『シッダールタ』(1922)をおいてないであろう。彼自身次のように紹介している。ちなみに「シッダールタ」とは「目標に到達した人」を意味し、釈迦の本名ゴータマ(姓)・シッダールタ(名)から採られている。

私は幾つかの短いエッセイの中で折に触れて信仰告白をしたのみならず、…自分の信仰を一冊の本に著わそうとした。『シッダールタ』という書で、その信仰の内容についてはインドの学究や日本の僧侶たちによって研究・討議されることはあったが、キリスト教世界の学者や聖職者たちによって吟味されることはなかった。(「私の信仰」1931 拙訳)

(『シッダールタ』は)キリスト教徒に生まれその教育を受けた男の告白の書だが、彼は若くし て既に教会を離れ、他の宗教の理解に、とりわけインドや中国の信仰形式の理解に努めた。私は、あらゆる宗派やあらゆる人間の信仰の形式に共通するもの、あらゆる民族的な多様性を超越するもの、そしてあらゆる人種やあらゆる個人によって信仰され崇拝されうるものを究明しようと試みたのだ。(日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 編訳「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」3 臨
川書店 2010―『シッダールタ』のペルシャの読者に宛てて― 1958)

主人公シッダールタはインドの特権階級、聖職者や僧侶が属するバラモンの子である。友と沙門(苦行僧)たちの放浪の旅に加わり、釈迦に出会ってその説法を聴く。友は釈尊のもとに止まるが、シッダールタは充分な納得を得られずに更にさすらうのだ。しかし結局涅槃の境地に達する能わず、絶望して自殺を考え川の水を覗き込む。川/河はインド宗教にとって深い意味を持つ。悠久の彼方から流れ来たり、全てを受け容れて流れ去って行く水は、過去→現在→未来へと絶えず脈々と流れ続ける時の永遠の姿を表し、源流→小川→大河→海洋→蒸発→雲→雨と姿を変えて循環する様は、宇宙の流転と命の輪廻を示すからである。近年遺伝子研究が盛んになると共に、現代人のルーツが驚異の連鎖をもって語られもするようになった。見えざる処で枝分かれし、結合し、流れ流れて行く地下水の葉脈のように、命はどこかで原初の世界につながっているという説である。確かに自分を9代程前に遡れば、祖先の数が既に天文学的数字にまで膨らむことが分る。単純計算をしていくと、原初の頃の人類の推定数を易々と超えてしまうこととなり、己の〈いのち〉が世界の全ての人とどこかでつながり、重なっているとの論理も、さして愚かしい夢とは言い切れなくなる訳である。

シッダールタは水の中をのぞき込んだ。流れて行く水の中にさまざまな姿が現れた。…それらは流れて混じり合い、全てが河になり…求めつつ、苦しみつつ、…たくさんの目標に向かって…流れていった、滝に、湖に、急流に、海に向かって。そして全ての目標にだどり着いた。するとどの目標のあとにも新しい目標が続いて現れた。そして水は蒸気となり、天に昇り、雨となって空から落ち、…
歓喜の声と苦悩の声、善良な声と邪悪な声、笑っている声と悲しんでいる声、何百もの声、何千もの声が重なった。シッダールタは聴き入った。…まったく心を空にして、まったく全てを吸収しながら、聴き入る者になりきっていた。…

この無数の声の合唱する大きな歌はただ一つの語から成っていた。その一語とは「オーム」すなわち「完成」であった。(日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 編訳監修「ヘルマン・ヘッセ
全集」 12 臨川書店 2007 ― 『シッダールタ』―)

日本国内にあっては、あの忌わしい事件以来「オーム」(日本での表記は一般的に「オウム」)という言葉はタブー視されているが、本来はヒンズー教や仏教の世界で「完全/然(しか)あるべし」を表す極めて好感度の高い言葉である。しばしば祈祷文や経典の初めと終りに用いられ、キリスト教の「アーメン」に近い印象を受ける。

[フモール/笑い/悟り]

ドイツ文化における《Humor(フモール)》の概念は、他国の追随を許さない深みを持っている。これを単なる「ユーモア」と解することは到底できない。「全てを含み、全てを赦す透明な永遠の笑い」、それがフモールの世界である。空想的な最高のユートピア、正―反を合一する「第三の世界」とでも言うべきであろうか。

今初めて私は、ゲーテの笑い、不滅の人々の笑いを理解した。それは目的のない笑いであった。それは唯、光であり明るさであり、真の人間が苦悩・重荷・誤謬・情欲・誤解を通り抜け、永遠の宇宙に突き入った時に残る笑いであった。そして《永遠》とは、時からの解脱以外の何物でもなく、またいわば、素朴への復帰、〈空〉への帰還であった。…
私はも早私ではなかった。…彼らの中にも私はいた。彼らは私にとって他人ではなく、彼らの笑いは私のもの、彼らの求めは私のもの、そして私のものは彼らのものであった。(『荒野の狼』拙訳)

この《フモール》の最高の世界では、全ての境界線が取り除かれて、私と他者との一体感が実現する。『荒野の狼』で提示され、『ガラス玉遊戯』(1943)において美しく昇華したヘッセの《フモール》の世界は、彼の統一観が少なくとも観念的には、完成の域に近づいたことを思わせる。

[キリスト教信仰]

こうして見てくると、あたかも仏教に宗旨替えをし帰依したかに思える程東洋的・哲学的な思想を抱くヘッセであるが、彼自身はあくまで生涯キリスト教徒であり続けたと言う。引用が長くなるが、「わたしの信仰」(1931)を代表とするエッセイと書簡にそれを跡づけ、ヘッセの宗教観を検証してみたい。

私は二つの形式において宗教を体験したのである。すなわち、敬虔で誠実なプロテスタントの子どもまた孫として、それにインド的啓示の読者として。その啓示の中でもウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター、仏陀の説教を私は上位に置く。…キリスト教の宗派的な、部分的には分派主義的な形式は、私にはもうたいへん早い時期に疑わしくなり、一部はまったく耐え難くなった。…少年時代の間ずっと、教会から何の宗教的体験も得ることはなかった。…この窮屈なキリスト教に比べれば、…たいていはひどく退屈な牧師と説教に比べれば、むろんインドの宗教と文学の世界はずっと魅惑的だった。…のちに私の個人的な宗教は、…改宗という意味で突然変わることは一度もなかったが、成長と発展という意味で絶えず徐々に変わっていった。わたしの『シッダールタ』が認識ではなく、愛
を上位に置いていること、ドグマを避け、統一の体験を中心にしていることは、キリスト教へ戻ろうとする傾向である、いやそれどころか真にプロテスタント的特徴であるとさえ人は感じるかもしれない。

インドの精神世界よりあとになって初めて私は中国の精神世界を知った。そして新しいさまざまな発展が生じた。孔子とソクラテスを兄弟のように思わせた古典的中国の徳の概念と、老子の神秘的な活力を秘めている隠れた英知が、強く私の関心を引いた。また、幾人かの精神的に非常にすぐれたカトリック信徒、とりわけ友人のフーゴ・パル(*『ヘッセ伝』1927 の著者)との交際を通して、キリスト教の影響の波がもう一度やって来た。…従って私の宗教生活においては、キリスト教、それも教会的キリスト教というよりむしろ神秘的キリスト教が、唯一ではないにしても支配的な役割を果たしている。そしてそれは、統一という思想を唯一の教義とするインド的アジア的色合いのより濃い信仰心と並んで、葛藤がないわけではないが争うこともなく生きている。私は宗教なくして生きたことは決してなかった。宗教なくしては1日も生きることはできないであろう。しかし、終生、教会なくしてやってきた。(日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 編訳「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」2 臨川書店 2009 ―『わたしの信仰』―)

信仰の中心にさらに少し近づき、それゆえ単に「キリスト教的」な体験の領域よりも大きく成長したキリスト教徒は、誰でも他の宗教の信者に、ただし異なる象徴的な言葉でだが、魂のすべてのあの根本体験を、そのすべての特徴とともに間違いなく見いだすのである。(日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 編訳「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」2 臨川書店2009 ―『神学断
想』― 1932)

古代文化とキリスト教というすぐれた学校が、たとえば私たちの精神状況に絶望して私のこれまでのよりどころを放棄し、あれこれインドや何かのヨーガの道に身を委ねることから私を守ってくれている…。(「日本の若い文学者への手紙」1947 日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 編訳「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」3 臨川書店2010 ―日本の若い同僚に― 1947)

ヘッセは日本にも重大な関心を抱いていて、この日本人読書への手紙の中で、禅宗について「禅に対して私は大きな尊敬の念を抱いています。…精神と心のための最もすばらしい道場のひとつで、私たちのこの西洋には、それに匹敵すると言っていいような伝統は全くほんのわずかしかなく…」と述べている。

また、ヘッセはユダヤ系神学者マルティン・ブーバーに傾倒し、何度もブーバーをノーベル賞候補に推挙したことが知られている。

ヘッセにとってキリストは偉大な「プロテスタント」(抵抗者)であり、覚醒者であり、仏陀と同列の「人格」なのである。人を救う力はキリストにも仏陀にもない。これら覚醒者は、己自身が統一に、救いに至り得た者として、その道を指し示しているに過ぎないのだ。人は各自、自分の道を見出だし、自ら統一に到達せねばならない。

我々は魂の中にかつて人間の魂の中に生きていたものを全て持っている。かつて存在した全ての神々や悪魔は、…みんな我々の中に可能性として、念願として、逃げ道としてあるのだ。(『デミアン』1919 拙訳)

1962年、85歳でこの世を去ったヘッセは、南スイスのモンタニョーラにある教会墓地に静かに眠っている。ノーベル文学賞に輝き、西ドイツより平和勲章を授与された、この偉大な詩人にして小説家、平和主義者であった寛容な哲学的思索家が、敬虔なキリスト教徒であったことを疑う者は極めて少ないであろう。真摯に求道的に生きたこの《魂の漂泊者》は、私たちルーテル教会に連なるキリスト教徒にも多くの示唆を投げかけ、信仰の深みにいざなってもくれる。私たちもまた、そうしたヘッセの信仰を疑うべきではないと筆者は考える。

===============================================================

板倉素子(いたくら・もとこ):東京教育大学(現・筑波大学)文学部、早稲田大学大学院卒、International Mentorship Graduate School 卒、文学修士。現在日本福音ルーテル小石川教会会員、千葉経済大学短期大学部 名誉教授。国際メンターシップ協会認定チーフエグゼクティヴ・メンターとして、カウンセリング、メンタリング、各地のセミナーや研修会を担当している。 

(本稿は日本福音ルーテル教会東教区-宣教ビジョンセンター紀要-『教会と宣教』第17号に掲載されたもので、筆者の同意を得て転載しています。)

〈引用について〉
・文中(拙訳)と記されているものは、ドイツ Suhrkamp 社の原典を筆者が訳したものである。
・一部原典の入手が困難だったものについて、「日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会」から刊行された「ヘルマン・ヘッセ全集」1~16(臨川書店 2005-2007)、「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集」1~8(臨川書店 2009~)の訳をお借りした。

〈参考文献〉
ラルフ・フリードマン(藤川芳朗 訳)『評伝 ヘルマン・ヘッセ』上・下(草思社 2004)
秋山六郎兵衛「ヘルマン・ヘッセ全集 別刊」『ヘッセ研究』(三笠書房 1941)
高橋健二『ヘルマン・ヘッセ研究』(新潮社 1957)
相良守峯「ヘルマン・ヘッセ全集 別刊」『ヘッセ研究』(田園書房 1966)
佐古純一郎『ヘルマン・ヘッセの文学』(春秋社 1992)
中村元『東洋人の思惟方法』1~4(春秋社 1941-1942)
金倉圓照『インド哲学史』(平楽寺書店 1962)
板倉素子『ヘッセにみる宗教的遍歴』(「商経論集」-千葉経済大学短期大学部紀要- Vol.9 1976)
板倉素子“Das religiöse Feld in den Werken Hermann Hesses -Die Begegnung des Christentums mit der indischen Religion-”筑波大学(旧東京教育大学)提出・卒業論文(1963)

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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