2016年6月6日20時27分

【科学の本質を探る㊶】生物進化論の未解決問題(その6)化学進化による生命の起源説 阿部正紀

コラムニスト : 阿部正紀

前回は、生命現象の根底に存在する「情報」、およびパターン認識理論などの「理論」が、自然淘汰によって生み出されてきた、と進化論で想定されていることの問題点を明らかにしました。

今回は、原始の地球の海で有機物が作られ、生命へと進化したとする化学進化説が解決不能な問題を抱えていることを明らかにします。

【今回のワンポイントメッセージ】

  • 化学進化に基づく生命の起源説は、確かな証拠が無く推察の域を出ないと進化生物学者から指摘されているが、化学進化が起きたことが進化学パラダイムの前提とされている。

「化学進化は神話」と述べる進化生物学者

現在の進化論では、地球上に生物が出現したのは約4億年前とされています。そして、それ以前に原始の海で無機物から有機物が合成され、それらが互いに結合してDNAやタンパク質などの生体物質、さらに原始的な生命体に進化したと考えられています。これを化学進化と呼びます。

化学進化は、1953年に行われた「ユーリー・ミラーの実験」で、原始の大気を想定した気体中でアミノ酸などの有機物が合成されたことから広く受け入れられました。ところが、その後、この実験で設定されていた気体の雰囲気(還元性)が原始地球の大気とは異なることが分かり、支持されなくなりました。

聖書に基づく創造論にも、インテリジェントデザイン(ID)論にも反対している進化生物学者のフラクリン・ハロルド――コロラド州立大学・名誉教授(生化学)およびワシントン大学客員教授(分子生物学)――は次のように述べています。

「近年の研究から、原始の地球の大気は・・・ほぼ中性であったことが示されている。このような条件下では、有機物は容易には合成されないから、原始スープで生命が発生したという説は神話ではないかと疑われている。長い時間をかけ化学進化によって生命体を構成する部品が作られてきたとする様々なシナリオは支持を失っている」【文献1[238、239ページ]強調:筆者】

卵(DNA)が先かニワトリ(タンパク質)が先か

生命体を構成する最も基本的な物質は、DNA(生命情報を保持し自己複製する)とタンパク質(細胞の構造や働きを支え、酵素の主成分として働く)です。ところでDNAの複製では、多くのタンパク質(図1に示すように、4種類の酵素の成分を含め9種類以上)が働いています。従って、タンパク質が存在しなければDNAは合成されないのです。

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*次のURLに公開の画像を改変http://spider.art.coocan.jp/biology2/genetics2012_4.htm
 http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/replicat.htm

ところが、そのタンパク質は、DNA上に塩基配列で暗号化された情報に従い、極めて複雑な手順で合成されます(図2)。それゆえ、DNAが無ければタンパク質は作られず、タンパク質が存在しなければDNAは合成されません。

化学進化には、「卵が先かニワトリが先か」のジレンマが伴うので、偶然に支配された自然のプロセスで起きたとは考えられないのです。

【科学の本質を探る㊶】生物進化論の未解決問題(その6)化学進化による生命の起源説 阿部正紀
*次のURLに公開の画像を改変
 http://www.ambis.co.jp/glossary/2006/09/protein_biosynthesis.html
 http://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/textbook/geneteng.htm
 http://www.mls.sci.hiroshima-u.ac.jp/smg/education/initiation.html
 http://ajinomoto-eurolysine.com/amino-acids-metabolism.html

生命の起源は解明できないと示唆する進化生物学者

化学進化学が抱えるこのような謎や、先に説明した原始大気の雰囲気の問題などを解決するためにいろいろな説*が提案されています。

  • [*RNAワールド仮説、DNAワールド仮説、プロテインワールド仮説、黄鉄鉱の表面での化学進化説、粘土の結晶内での化学進化説など]

しかし、いずれも確かな証拠が存在せず、推測の域を出ていないと、進化生物学者たちが指摘しています。【文献1[235~252ページ]、文献2~4】

生命の宇宙起源説を信奉する学者たち

宇宙進化論を探究している著名な理論物理学者のポール・デイヴィスは、化学進化が抱えるこのような問題点を指摘するとともに、生命という秩序が自然のプロセスによって自己組織化(第14回)される理論が存在しない*と論じています。【文献2、文献3】

  • [*プリゴジンが唱えた散逸構造による自己組織化(第14回)では、自己組織化するための条件が外部から設定される。しかし、生命という秩序を組織化するための条件は生命体の内部(DNA)に存在するので、散逸構造論では生命の出現を説明できない]

それゆえデイヴィスは、地球以外の宇宙に生命の起源を求める必要性があると唱えています。

また、DNAの二重らせん構造を発見してノーベル賞を受賞したフランシス・クリックは、「宇宙空間には生命の種が蒔(ま)かれており、地球上の最初の生命は宇宙からやってきた」とする仮説――宇宙播種(はんしゅ)説――を唱えています。

さらに、ドーキンス(第39回)、無神論的な世界観を広めている天文学者カール・セーガン、定常宇宙論の提唱者として著名な天体物理学者フレッド・ホイル(第5回)なども、化学進化を信じないで、生命の種が宇宙から飛来したと主張しています。

実証できない生命の起源説

しかし、生命の起源を地球外に求めても、そこでどのようにして生命が発生したかという問いが残り、問題を先送りするだけです。それゆえ、生命の起源を研究している進化生物学者のほとんどが、地球上で生命が発生したプロセスを探究しています。彼らがいかに困難に直面しているかを、ハロルドが次のように述べています。

「この地球上で約4億年前に、生命を持たない物質に何らかの進化のプロセスが働いて生命が誕生した――これは実証できる事実ではなく、専門家を含めほとんどすべての科学者が受け入れている仮説である。それを支持する直接的な証拠は存在せず、これから見つかる見込みもなさそうである。ただ証拠と考えても矛盾しない間接的な証拠は存在する」【文献1[236ページ]強調:筆者】②

進化論パラダイムと創造論/IDパラダイム

前回も述べましたが、情報には必ず知的な発信者が存在し、暗号にも知的な考案者がいるはずです。DNAには生物を作るための全ての情報が塩基配列によって暗号化されており、それを解読するための道具(タンパク質)も暗号に基づいて、極めて複雑な手順によって作られます(図2)。

このようなシステムが、目的も計画も存在しない自然のプロセスで作られるとは考えらず、知的な存在者によって作られたに違いないという確信を人々に与えます。創造論者とID論者は、この確信に素直に従い、生命は神(知的存在者)によってデザインされ創造されたと考えます。

しかし、自然主義(超自然を排し、全てを自然法則で説明する)に立つ進化論者は、あたかも神によって作られたと人々が見間違えるような秩序――その最たるものが生命――が自然法則に従って作られたと考えます。それがいかに困難であっても、この原則を貫きます。これが進化論パラダイムの前提ですから、その枠組みの中でいわゆる「通常研究」(第30回)がなされるのです。

進化生物学者アントニオ・ラズカノ(メキシコ国立自治大学教授)は、創造論とID 論を退ける理由を次のように説明しています。

「たとえ不完全であっても今日の進化の枠組みは、インテリジェントデザインのように超自然的な原理、あるいは宗教的な理由に訴える必要がないという点において優れている。進化論の証拠が科学的に不完全であるということは創造論を支持する証拠ではない。この問題に関していつまでも一致が得られず論争が続くかもしれないが、科学者それはそのような不一致があるからと言って探究を止めたりデータを捨てたりはしないで、むしろ解決に向けて挑戦していく」【文献4】

【まとめ】

  • 原始地球の海で生命が発生したとする化学進化説は、多くの難点、すなわち原始大気の雰囲気、DNAに暗号化された生命情報の起源、「卵(DNA)が先かニワトリ(タンパク質)が先か」のジレンマ、生命の起源を自己組織化の理論で説明できない、などを抱えている。
  • これらの謎を解決するためにさまざまな説(RNAワールド説など)が提案されているが、いずれも確かな証拠が存在せず、推測の域を出ていない。
  • それゆえ、多くの著名な科学者たちが生命の起源を地球外の宇宙に求めているが、これは問題の先送りでしかない。進化生物学者は、化学進化に基づく生命の起源を前提とするパラダイムの枠組みの中で「通常研究」を続けている。

【次回】

  • これまでのコラムで明らかにしてきたことを振り返って、科学の本質に基づく限界を明らかにします。

【文献】

  • 1)“The Way of the Cell: Molecules,Organisms and the Order of Life” , by Franklin M. Harold, Oxfor University Press (2001).
  • 2)“The origin of life. II: How did it begin?” by Paul Davis, Sci Prog. 2001; 84(Pt 1):17-29. http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11382135
  • 3)「生命の起源――地球と宇宙をめぐる最大の謎に迫る」ポール・デイヴィス著、 木山英明訳、明石書店(2014年)174~204ページ
  • 4)“The Origins of Life: Have too many cooks spoiled the prebiotic soup?”, by Antonio Lazcano, Natural History Magazine, Inc., February, 2006. http://www.naturalhistorymag.com/htmlsite/0206/0206_feature1.html

◇

阿部正紀

阿部正紀

(あべ・まさのり)

東京工業大学名誉教授。東工大物理学科卒、東工大博士課程電子工学専攻終了(工学博士)。東工大大学院電子物理工学専攻教授を経て現職。著書に『基礎電子物性工学―量子力学の基本と応用』(コロナ社)、『電子物性概論―量子論の基礎』(培風館)、『はじめて学ぶ量子化学』(培風館)など。

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■ 科学の本質を探る

① アインシュタインは“スピノザの神”の信奉者
②-④ 量子力学をめぐる世界観の対立 (その1) (その2) (その3)
⑤-⑨ インフレーション・ビッグバン宇宙論の謎 (その1) (その2) (その3) (その4) (その5)
⑩-⑬ ニュートン力学からカオス理論へ (その1) (その2) (その3) (その4)
⑭-⑯ 複雑系における秩序形成と生命現象 (その1) (その2) (その3)
⑰ コペルニクスの実像―地動説は失敗作
⑱ ケプラーの実像―神秘主義思想と近代科学の精神が共存
⑲-㉒ ガリレイの実像 (その1)(その2)(その3)(その4)
㉓-㉔ 近代科学の基本理念に到達した古代の神学者 (その1)(その2)
㉕-㉗ 中世スコラ学者による近代科学への貢献 (その1)(その2)(その3)
㉘ 中世暗黒説を生み出したフランシス・ベーコンの科学観とその崩壊
㉙ 中世暗黒説の崩壊と科学革命の提起
㉚-㉛ 常識的な科学観を覆したパラダイム論 (その1)(その2)
㉜-㉟ 脳科学の未解決問題 (その1)(その2)(その3)(その4)
㊱-㊶ 生物進化論の未解決問題 (その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)
㊷ 科学の本質と限界