2016年1月4日14時53分

【科学の本質を探る㉓】近代科学の基本理念に到達した古代の神学者(その1)アレクサンドリアの教父の思想 阿部正紀

コラムニスト : 阿部正紀

前回は、ガリレイが古代と中世の神学者の聖書解釈を継承して、聖書の字義的解釈とアリストテレス主義の自然像から脱却して地動説をカトリックの学問に取り入れるように主張し、退けられたことを説明しました。

実は、ガリレイ騒動より以前に、教父と呼ばれる古代の神学者によって、また中世のスコラ学者によって、キリスト教神学にギリシャ哲学を取り入れるか否かで論争が行われていました。

今回は、教父たちが論争の末、ギリシャ哲学を批判的に受け入れ、これをキリスト教に同化していった過程で近代科学の基本理念に到達していたことを明らかにします。

【今回のワンポイントメッセージ】

  • 古代アレクサンドリアの教父たちは、聖書の教理からギリシャ哲学の二元論的(天上界と地上界を区別する)世界観を打破し、宇宙の至る所で同じ法則と秩序が存在すると唱え、近代科学の理念を先取りしていた。

教父の思想――近代科学の思想的原点

教父とは、およそ1から8世紀に著述活動によってキリスト教を知的に高めた神学者を指します。彼らは、ギリシャ哲学や「グノーシス主義」などもろもろの異教的な思想や神秘主義思想からキリスト教を守るために、これらの思想と対決しました。

初期の教父の中には、ギリシャ哲学をそのまま受け入れて知識階級の人々を説得しようとした者もいました。また逆に、ギリシャ哲学を敵視し、ギリシャ哲学の合理主義を退けた教父もいたのです。

しかし、論争の末に勝利したのは、敵対しないで効用の認められる範囲でギリシャ哲学を受容した教父たちでした。

【科学の本質を探る㉓】近代科学の基本理念に到達した古代の神学者(その1)アレクサンドリアの教父の思想

有名な教父、オリゲネス(3世紀)は、ギリシャの哲学はキリスト教に役立つから大いに利用すべきであると説き、「哲学は神学の端女(はしため)」であると唱えました。「はしため」とは、役に立つお手伝いさんというほどの意味であって、決して哲学を卑しめたものではありません。

さらに教父たちは、哲学を学ぶためにはギリシャの諸学を学ぶことが大切であると説いて、論理学や自然学、すなわち自然科学を学ぶことを勧めました。これによって、近代科学が西欧で誕生する下地が作られたのです。

現在の自然科学は、観測事実と合理的な理論によって裏付けられていますが、実は証明できない前提に立脚しています(図1)。このような自然科学の本質に、アレクサンドリア(ヘレニズム文化が栄えたエジプトの都市)で活躍した教父たちが、聖書に基づくキリスト教の教理からすでに達していたことを説明しましょう。

自然界に法則が存在する

自然科学では自然を支配している法則を探究しますが、法則が存在することを証明することはできません。過去の多くの経験(観測、実験)から自然が法則に従うことが示されているので、将来も法則に従うだろうと信じるのです。

サイバネティックス(自動制御学)の創始者として有名な科学者ノバート・ウィナーは、次のように述べています。

「自然は法則に従うものであるという信仰なしには、科学は成り立たない。どんなに大量の実例も、自然は法則に従うということを決して証明することはできない」

教父たちは、宇宙を創造し、人類が従うべき律法を付与された神が、自然界にも法則を置かれたに違いないと確信しました。ここから、自然界には法則が存在するという、自然科学の最も基本的な前提が生み出されたのです。このことは、「法則」および「律法」の英語lawは、中世英語でlay(置く)の過去分詞であったことからもうかがえます。

宇宙のどこでも同じ法則が成立する(斉一性の原理)

近代科学では、宇宙の全ての場所で同じ法則が成り立つこと――これを斉一性の原理といいます――が前提とされています。

しかし、古代のギリシャ人は、神々の座である天上界(月より上の世界)は、不完全な地上界とは異なり、完全な法則が支配していると考えました。つまり、世界を二分して二元論的に世界を把握していたのです。またギリシャ人は、世界は、創造に先立って存在していた永遠的なるもの(第一質料)から創造されたと考えていました。

ところが、教父たちは聖書の記述から、神は何の材料をも用いず“無”から万物を創造したと解釈しました。この「無からの創造」の教理から、教父は、宇宙は隅々まで神によって支配されているので、宇宙のどの場所でも同じ法則と一貫した統一的な秩序が存在する、と論じました。

教父たちは、“無からの創造”の教理に基づいてギリシャ思想の二元論を打破し、斉一性の原理に到達していたのです。

自然が理解できる

さらに教父たちは、人間は神に似せて作られているから、神が自然界に置かれた法則を理解できるはずだ、と考えました。人間が自然のしくみを理解できるはずという確信は、近代科学の根底にある最も重要な概念ですが、その理由を説明することはできません。アインシュタインは、次のように言っています。

「なぜ人間が世界を理解できるのか? それこそ私が永遠に理解できないことだ」

アレクサンドリアの教父たちは、人間が「神の似姿」に造られたという聖書の教えから、人間は同じ神によって造られた自然を理解できるという確信に到達していたのです。

そもそも近代科学は、ギリシャ哲学とキリスト教との長期にわたる葛藤の中から、それらを統合する形で生み出されたのですから、近代科学思想の原点はこのような教父の思想に求められるのです。

【まとめ】

  • 古代の教父は、ギリシャの哲学を批判的に受け入れ、これをキリスト教に同化していく過程で近代科学の基本理念に到達していた。
  • アレクサンドリアの教父たちは、“無”からの創造の教理から、ギリシャ哲学の二元論(天上界は、地上界と異なり完全な法則が支配している)を打破した。
  • 彼らは、自然界に法則が存在する、宇宙のどこでも同じ法則が成り立つ(斉一性の原理)、自然は理解できる、と論じて近代科学の基本的理念を先取りしていた。

【次回】

  • 最大の教父、アウグスティヌスによって、近代科学に特有な機械論的な自然観の萌芽が作り出されたことを明らかにします。

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阿部正紀

阿部正紀

(あべ・まさのり)

東京工業大学名誉教授。東工大物理学科卒、東工大博士課程電子工学専攻終了(工学博士)。東工大大学院電子物理工学専攻教授を経て現職。著書に『基礎電子物性工学―量子力学の基本と応用』(コロナ社)、『電子物性概論―量子論の基礎』(培風館)、『はじめて学ぶ量子化学』(培風館)など。

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■ 科学の本質を探る

① アインシュタインは“スピノザの神”の信奉者
②-④ 量子力学をめぐる世界観の対立 (その1) (その2) (その3)
⑤-⑨ インフレーション・ビッグバン宇宙論の謎 (その1) (その2) (その3) (その4) (その5)
⑩-⑬ ニュートン力学からカオス理論へ (その1) (その2) (その3) (その4)
⑭-⑯ 複雑系における秩序形成と生命現象 (その1) (その2) (その3)
⑰ コペルニクスの実像―地動説は失敗作
⑱ ケプラーの実像―神秘主義思想と近代科学の精神が共存
⑲-㉒ ガリレイの実像 (その1)(その2)(その3)(その4)
㉓-㉔ 近代科学の基本理念に到達した古代の神学者 (その1)(その2)
㉕-㉗ 中世スコラ学者による近代科学への貢献 (その1)(その2)(その3)
㉘ 中世暗黒説を生み出したフランシス・ベーコンの科学観とその崩壊
㉙ 中世暗黒説の崩壊と科学革命の提起
㉚-㉛ 常識的な科学観を覆したパラダイム論 (その1)(その2)
㉜-㉟ 脳科学の未解決問題 (その1)(その2)(その3)(その4)
㊱-㊶ 生物進化論の未解決問題 (その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)
㊷ 科学の本質と限界