2015年9月7日10時42分

【科学の本質を探る⑥】インフレーション・ビッグバン宇宙論の謎(その2)“無”からの宇宙誕生 阿部正紀

コラムニスト : 阿部正紀

前回は、相対性理論から生まれたビッグバンモデル(“火の玉宇宙”による宇宙開闢(かいびゃく)説)は、聖書の天地創造を連想させるので最初は科学者から拒否されましたが、観測事実の積み重ねによって受け入れられていったことをお話ししました。その後、“火の玉宇宙”の起源を論じるインフレーション理論が作られ、インフレーション・ビッグバン理論が宇宙論の標準理論になりました。

今回は、宇宙のインフレーションに先立つ「“無”からの宇宙誕生説」を紹介し、それが抱えている問題点を明らかにします。

【今回のワンポイントメッセージ】

  • “無”からの宇宙誕生説は仮説の域を出ない。

“無”から誕生したミニ宇宙とインフレーション

インフレーション・ビッグバン理論によれば、今から138億年前に“無”から電子よりも小さな“ミニ宇宙”が誕生しました。

ミニ宇宙は、インフレーションと呼ばれるものすごい勢いの膨張を行いました。すなわち、膨張速度が、宇宙が膨張するに従って加速される「加速的膨張」によって、1秒以内に少なくとも10の30乗倍(30桁)も膨張して、10センチ以上の“火の玉宇宙”になったのです。

この“火の玉宇宙”がビッグバン(大爆発)を起こし、その後もゆっくりと膨張し続けて今日の宇宙になった、とされています。

“虚数時間”による説明の謎

“無”からミニ宇宙が誕生したことを説明する理論は、「車椅子の天才学者」として知られているスティーブン・ホーキングらによって提唱されました。

ホーキングらは、時間を虚数で表し、ミニ宇宙が“虚数時間”の流れる世界から実数時間の流れる現実の世界に飛び出して宇宙が開闢した、と唱えました。

虚数とは、二乗するとマイナスになる「想像上の数」で、物理学や工学で用いられています。この場合は、虚数を用いた計算結果が観測や実験と一致することが確かめられているので、虚数を用いることが正当化されています。

しかし、虚数時間を用いたホーキングらの宇宙誕生モデルを正当化するような観測データや理論は存在しません。ホーキングは次のように述べています。

「虚数時間を使うことは単なる数学的なトリックに過ぎず、実体や時間の本質については何も語っていないといってもかまいません」(スティーヴン・W・ホーキング著『ホーキングの最新宇宙論』佐藤勝彦監訳、日本放送出版協会(1990年)122~123頁)

支持する根拠がなく「実体のない」虚数時間を用いて説明する「ミニ宇宙誕生説」は、「実体のない」仮説――説明のためだけに導入した仮説――といわざるを得ません。

“揺らぎ”による説明の謎

さらにホーキングらは、ミニ宇宙が虚数時間の世界から実数時間の世界に飛び出したメカニズムを、“無”の世界の“揺らぎ”で説明しています。すなわち、量子力学が明らかにした「真空の揺らぎ」現象を“無”の世界に拡張してミニ宇宙の誕生を説明しているのです。

しかし現在の宇宙空間の真空で成り立っている「真空の揺らぎ」現象を、宇宙開闢以前の“無”の世界に拡張できることを示す理論的な根拠は存在しません。従って「真空の揺らぎ」によるミニ宇宙誕生の説明は、先ほどの虚数時間による説明と同様に、説明するためだけに導入した仮説の域を出ていないといえます。

“無”からエネルギーを取り出す「ただ飯理論」の謎

“無”から出現したミニ宇宙には、当然、物質もエネルギーも存在しませんでした。ところがミニ宇宙は、「真空のエネルギー」と呼ばれる、真空空間に存在するエネルギーを獲得したとされています。

この真空のエネルギーが空間を膨張させてインフレーションを引き起こすとともに、インフレーションが終了したときに真空のエネルギーが熱エネルギーに転じ、その後物質に変わったと想定されているのです。

では、ミニ宇宙はどのようにして“無”から真空のエネルギーを獲得して“火の玉宇宙”に成長したのでしょうか。

この問いに答えるために作られた理論は、金を払わないで食事にありつくようなもの、という意味で「ただ飯理論」と呼ばれています。それは、持ち金ゼロの人が、銀行から現金(プラス)を借金(マイナス)と引き換えに手に入れることに例えて、次のように説明できます。

(a)エネルギーゼロの状態で誕生したミニ宇宙は、「真空のエネルギー」というプラスのエネルギー(現金)を、それと釣り合うマイナスの「重力のエネルギー」(借金)と引き換えに獲得した。

(b)こうして得た真空のエネルギーがミニ宇宙を膨張させ、(c)膨張した空間が、(a)と同様に真空のエネルギー(現金)をそれと釣り合う「重力のエネルギー」(借金)と引き換えに獲得した。

インフレーション・ビッグバン宇宙論の謎(その2)“無”からの宇宙誕生 阿部正紀

このような「ただ飯理論」も仮説の域を出ていません。真空のエネルギーを重力のエネルギーと引き換えに“無”から取り出す原理が不明だからです。また真空のエネルギーが空間を膨張させるメカニズムも解明されていません。

“無”からの宇宙開闢理論は仮説の域を出ない

“虚数時間”、“真空の揺らぎ”、“ただ飯理論”――いずれも宇宙開闢時に成り立っていたことを示す理論的根拠も観測データも存在しないので仮説の域を出ません。従って、「“無”からのミニ宇宙誕生」理論をまともに信じている科学者はほとんどいません。

【まとめ】

  • ミニ宇宙が、「虚数時間の流れる」世界から「実数時間の流れる」現実の世界に、「真空の揺らぎ」と同じプロセスで飛び出したと想定する「“無”からの宇宙誕生説」を支持する観測データも理論も存在しない。
  • エネルギーゼロで誕生したミニ宇宙が、真空のエネルギーを獲得したことを説明する「ただ飯理論」も、これを支持する観測事実や理論が存在しない。
  • 「虚数時間」「真空の揺らぎ」「ただ飯理論」は、結果を説明するためだけに導入した仮説に過ぎないといえる。それゆえ、「“無”からの宇宙誕生」説をまともに信じている科学者はほとんどいない。

【次回】

  • インフレーション理論が深刻な謎を抱え、行き詰まっていることを説明します。

◇

阿部正紀

阿部正紀

(あべ・まさのり)

東京工業大学名誉教授。東工大物理学科卒、東工大博士課程電子工学専攻終了(工学博士)。東工大大学院電子物理工学専攻教授を経て現職。著書に『基礎電子物性工学―量子力学の基本と応用』(コロナ社)、『電子物性概論―量子論の基礎』(培風館)、『はじめて学ぶ量子化学』(培風館)など。

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■ 科学の本質を探る

① アインシュタインは“スピノザの神”の信奉者
②-④ 量子力学をめぐる世界観の対立 (その1) (その2) (その3)
⑤-⑨ インフレーション・ビッグバン宇宙論の謎 (その1) (その2) (その3) (その4) (その5)
⑩-⑬ ニュートン力学からカオス理論へ (その1) (その2) (その3) (その4)
⑭-⑯ 複雑系における秩序形成と生命現象 (その1) (その2) (その3)
⑰ コペルニクスの実像―地動説は失敗作
⑱ ケプラーの実像―神秘主義思想と近代科学の精神が共存
⑲-㉒ ガリレイの実像 (その1)(その2)(その3)(その4)
㉓-㉔ 近代科学の基本理念に到達した古代の神学者 (その1)(その2)
㉕-㉗ 中世スコラ学者による近代科学への貢献 (その1)(その2)(その3)
㉘ 中世暗黒説を生み出したフランシス・ベーコンの科学観とその崩壊
㉙ 中世暗黒説の崩壊と科学革命の提起
㉚-㉛ 常識的な科学観を覆したパラダイム論 (その1)(その2)
㉜-㉟ 脳科学の未解決問題 (その1)(その2)(その3)(その4)
㊱-㊶ 生物進化論の未解決問題 (その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)
㊷ 科学の本質と限界