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死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(115)イエス・キリストの人間味の役割 米田武義

2017年4月13日13時25分 コラムニスト : 米田武義 印刷
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イエス・キリストは、人類救済のために、十字架上で全人類の罪を贖(あがな)われて死に、3日目によみがえられた。この大きな目的のために、完全なる人となって世に来られた。

もちろん、これが大きな第1の目的であるに違いない。が、イエス・キリストはこの大目標を達成するために、脇目も振らずに働き回り、せかせかと夜も寝ず働き、目的のために鉄の意志をもって小さなことは切り捨て、無視し、多勢を救う効率の良い働きをされていただろうか。

私はまったく逆のような気がする。なるほど、一生懸命に働かれたことは、十分に読みとれるが、何となくゆっくりと会話をしながら移動し、眠たくなれば船の中で寝たり、腹が減ったら食べたり、せかせかと忙しそうに働いている情景は想像できない。それどころか、いろいろな癒やしをして口止めをしても、イエス・キリストの言うことに従わずに言いふらす人が次々と現れ、キリストの思う通りにならないことが次々と出てくる。

また、ユダヤ人に先に救いの手をとの方針であったのに、子犬でも机の下のパンくずを頂きますとの信心あつい心に打たれて、異邦人を先に救われたりされた。とても強い鉄の意志で、弱者切り捨ての方針で脇目も振らずまい進されているようには見えない。とても人情味のある、人の心の分かるイエス・キリストの姿が浮かんでくる。

私たちは、全能者たる神様にいろんなお願いをする。それは、神様が全能だと信じるからである。しかしイエス・キリストは、逆に実に人間的である。奇跡も行われるが、実に人間味豊かである。

神様と私たち人間の仲介者として、ただ十字架上での犠牲の贖い、犠牲の供え物としての役割だけでなく、人間味豊かな地上生活を私たちに提示してくださったことは、どれほど私たちと神様との間の隔離感を縮めてくださったことか。血肉感をもって神様をあがめることができることか。

「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました」(マルコの福音書7:29)

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米田武義

米田武義(よねだ・たけよし)

1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。

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