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死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(116)聖書の教えを損得勘定で見るなら 米田武義

2017年4月20日11時45分 コラムニスト : 米田武義 印刷
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今までいろんな人の話を聞いていると、誰しも1度は“こんなことなら最初から信仰を持たなければ良かったのでは”と、ふと思うときがあるようだ。私も正直1度ならずあった。しかし、棄教する勇気もなかったし、それほど真剣でもなかったので、うやむやになっていた。それに趣味などと違って、自分自身と深く関わっているので、それをすぐに棄て去るということは、自分自身の大部分を棄て去ることにつながるように思えて、そんな大それたことはできなかった。

今まで信仰を持っていて、それ自体がマイナスをもたらすということはそれほどなかった。強いて言えば、クリスチャンであると分かった途端に軽く見られるというか、甘えられるというようなことがあった。そのため、仕事面でちょっとやりにくいなあと思い、クリスチャンであることを、あまり積極的に誰にでも言わなくなったことがあったくらいである。

今の日本は、中国や特別な国のように、クリスチャンであるという理由で迫害を受けることはないので、私たちは本当の迫害がどれほど恐ろしいものか知る由もない。書物や映画で知る限りでは、目を覆いたくなるような残酷なシーンがあるが、自分たちと同じ人間なのに、よくああいう試練に喜んで立ち向かえたなあと思う。

逃げ隠れできない世に居合わせたなら、迫害も前向きに受け止めた方が、不平不満をもって受け止めるより楽と、聖書に書かれてある通り喜びをもって受け止めたに違いない。

先ほども言ったように、今私たち日本に住む者は、迫害らしい迫害を知らない。そういう者にとって、信仰を持つことは本当に、有利不利という面から見ても、絶対に有利である。日常のあらゆることに関して神様の助けが得られるし、特に病床にあって1人で闘わねばならないようなときほど、神様の助けをありがたいと思うことはない。

病気、事件、事故は、誰にも、信仰を持つ人にも持たない人にも降りかかってくる可能性があるのだ。

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1:21)

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米田武義

米田武義(よねだ・たけよし)

1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。

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