「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」がノンクリスチャンに投げ掛けるもの 青木保憲

2017年9月2日06時29分 執筆者 : 青木保憲 印刷
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「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」9月9日(土)、新宿バルト9ほか全国ロードショー © 2017 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved. 配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
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前回は「キリスト者が求める真の生き方」について考えてみた。今回は「ノンクリスチャンにとってこの映画の持つ意味」を考えていきたい。

映画にはジャンル・ムービーというものがある。SFアクション、スリラー、ホラー、コメディー、歴史ドラマなど、見る前から観客が「一定の期待値」を持ってその映画を見に行くとき、おのずと「展開が読める」ことが求められていると言えよう。例えば、今夏大ヒットしている「パイレーツ・オブ・カリビアン」は、アクションとCGの見事なまでの融合、ジョニー・デップの軽妙な演技、そして畳み掛けるようなサウンドによって、見る前から「こんな映画だろう」という予想を容易に立てやすい。

一方、そういうジャンルにとらわれない、というか、「この映画、どこに向かってるの?」と逆にジャンルのくくりを感じさせない映画が存在する。近年、筆者がこの「非ジャンル映画」として強烈に覚えているのは、ナ・ホンジン監督の「哭声/コクソン」である。先の読めない展開、次々と明かされる驚愕(きょうがく)の事実、そして全裸で四つん這いになって生肉を喰らう國村隼・・・(笑)。2時間半、頭の中が「石焼ビビンバ」を混ぜ込んだような状態にさせられた。

さて、本作品「アメイジング・ジャーニー」はどうだろうか。おそらくまったく何の予備知識もなく本編を見るなら、後者の感覚を抱かせるものとなるだろう。感動モノであることはポスターを見るだけで分かるが、その展開において、いわゆる「細かな聖書的ギャグ」が多いため、その知識がない者は、どうしてこんな話になっていくのか分からないのではないだろうか。

また、キリスト教的知識があれば前半のヤマ場で3人の会話や存在の意味が分かるだろうが、それがないと、直接的に「神」「イエス」「聖霊」と自称することが極端に少ないため、「この黒人のおばさんはダレ?少年時代にパイをくれたあの人か?」とか、「どうしてこのインド系青年は水の上を歩けるのか?魔術でも使えるのか?」、極め付きは、常に後光がさしている中でまったりと話し掛ける東洋系の女性(すみれ)である。「こいつ、何者?」というのが率直な感想となるはずである。

「三位一体」という用語を知っていたり、現代アメリカの事情を踏まえ、多様性を人種的に配剤しているのかな、と思い至る方なら、まだ理解できるだろう。どうして「パパ」なのに女性なのか?なぜアップル社のイヤホンを使い、ニール・ヤングが好きなのか?そんな疑問が次々と浮かんでくるのではないだろうか。

昔から「神様ネタ」の映画はハリウッドには多くある。イエス・キリストを題材としたものはまじめな歴史物が多いが、神様にフォーカスした場合、多くがコメディーである。古くは1970年代、ジョン・デンバー主演の「オー!ゴッド」シリーズ。そして最近では、2003年、ジム・キャリーの「ブルース・オールマイティ」である。その系譜で見るなら、こういった神様、イエス・キリスト、聖霊はあり、ということになろう。

しかし、筆者はもう少し神学的な差異化を狙っているように思う。福音派の神観において、「人間の頭で完璧に理解し得ないのが神様」というものがある。それにのっとるなら、私たちはいつしか性別も「父」、そしてイエス・キリストは「白人、金髪、青い瞳」、聖霊は「ハト」や人間ならざる存在、という固定概念がいつしか生まれてきてしまっている。それに対するアンチテーゼとして、「到底その者とは思えない形態」に、あえて彼らを造形したと捉える視点である。

だが、これは聖書的、神学的知識を前提とした面白さであって、これがまったくない場合、ただの「トンデモ映画」としか映らないことだって十分ある。すると、この物語が真に訴えたいテーマを見誤ってしまうし、クリスチャンが涙するところで、逆に「なんで泣くの?」「どうしてこんな展開に?」という違和感、疎外感を抱きかねない。

今年5月に日本で公開した「マンチェスター・バイ・ザ・シー」という映画がある。これも本編の主人公のように、子どもを不可抗力(事故)で失い、その自責の念から心を閉ざしてしまった男の話である。しかし、この映画に神は登場しない。出てくるのは、彼を気遣いながらも、若さ故に衝突を繰り返す甥っ子である。

彼らは対立し、けんかし、そして何か仄(ほの)かな希望に未来を託そうとするところで映画が終わる。救いはない。しかし、見ている側に何の予備知識が無くても、登場人物に共感できるし、彼らのささやかな心情の変化に胸を打たれる。

それに比べると本作品は、きちんと心の癒やしが描かれているし、その要因やきっかけ、そして過去からの解放がどうやって起こったのか、明白になっている。分かりやすいと言えば分かりやすい。しかしそれは、キリスト教的な予備知識を持っていれば、という条件がつく。逆にこれがないまま見せられると、感情移入もできないまま、最終回答を突き付けられることになるため、むしろ白けてしまう。

この映画を未信者が見る環境として、どんな状態がベストなのだろうか?

まず、クリスチャンの友人と見に行くことである。一見して分かるのは、この映画はかなり高度なキリスト教的前提がないと、すべてを理解することが難しいということである。さらに、その友人のクリスチャンは、事前に何度かこの映画を見ておくか、または原作を読んでおくことをお勧めする。そして神、イエス、聖霊の従来の固定概念を捨て去ること。これにこだわると、作品そのもののメッセージを読み取れないことになる。

そして願わくは、教会に最近通っているけど、まだよく分からない、という意味での未信者であってほしい。そうなら、この映画はど真ん中ストライクの感動を与えることになると思う。

総じて本編が訴えているのは、人は過去の傷や悔いをいつまでも抱えていては幸せになれない、ということ。そしてキリスト教の福音は、単に今のその人を救うとか、将来に素晴らしいことが待っているとか、天国に行ったら今までの苦しみから解放される、というようなものでは、現代的には理解されないということ。やはり現代におけるキリスト教、そして福音の神髄は、「あなたの過去を救う」こと。他でもない「あなたの過去が変えられる」というストレートなメッセージであろう。

本作品はそのメッセージに真正面から向き合っている良作である。しかし、きれいなバラにはとげが多くあるように、扱いに気を付けないと、作品のテーマとは別のものを未信者に提供し、つまずかせてしまう危険性があることは、覚えておくべきだろう。

これらの条件がそろうなら、ぜひ劇場へ!

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映画「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」公式サイト

青木保憲

青木保憲(あおき・やすのり)

1968年愛知県生まれ。愛知教育大学大学院を卒業後、小学校教員を経て牧師を志し、アンデレ宣教神学院へ進む。その後、京都大学教育学研究科卒(修士)、同志社大学大学院神学研究科卒(神学博士、2011年)、現在は大阪城東福音教会(ペンテコステ派)牧師。東日本大震災の復興を願って来日するナッシュビルのクライストチャーチ・クワイアと交流を深める。映画と教会での説教をこよなく愛する。聖書と「スターウォーズ」が座右の銘。一男二女の父。著書に『アメリカ福音派の歴史』(2012年、明石書店)。

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