東日本大震災から6年、ささげる祈り 日常と非日常の狭間で

2017年3月11日06時57分 記者 : 守田早生里 印刷
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+「日常」と「非日常」が混在する場所で捧げる祈り 東日本大震災から6年
津波到達時間で止まった時計=2016年9月、請戸小学校(福島県浪江町)で
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2011年3月11日、東北を中心とした東日本の各地に甚大な被害をもたらした東日本大震災。あの日から6年がたった。

悲しみを乗り越え、復興に向かって動き出している地域。復興することすら許されないまま時が止まった地域。復興をしようにも人が戻って来ない地域・・・。あの日を境に様相を変えた街のその後はさまざまだ。

昨年9月、日本キリスト教会東京中会青年部で、宮城県、岩手県など、被災地を巡る2泊3日のツアーを行った。参加したのは同教会の信徒や教職者など15人。

共同主催者の1人である浦和教会の三輪地塩牧師は次のように言う。「南三陸町で感じたのは、かゆいところには手が届いていないということ。いわゆるハコモノは国や県によって建て直され、そういう面では徐々に復興は進んでいるものの、コミュニティーの再形成は進んでいない」

3日目にオプショナルツアーとして福島第一原発周辺地域を訪れた。「浜通り」と呼ばれるこの地域が他の「被災地」と大きく違うのは、今も人が住めない場所があること。

そこは原発を中心にして円心状に「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に区切られている。しかし、放射能は円心状に飛散するわけではなく、また、その日の風向きや天候によっても飛散量は違う。そのため、現在も多くの人が生活を送る、原発から30キロメートル以上離れた場所の方が「帰還困難区域」よりはるかに放射線量が高いといった矛盾も起きてくる。

この地域には、「フレコンバック」と呼ばれる袋に土地の表面を削り取った土を詰め込んだものが、風光明媚な山間に山積みされている。村を行き交う車のほとんどが工事車両であることから、「除染作業」は現在もなお続いていることが分かる。フレコンバックは今後も増え続け、その引き取り先は決まっていない。

東日本大震災から6年 ささげる祈り 日常と非日常の狭間で
地域の至る所に積み上げられているフレコンバック

ツアー途中に立ち寄った飯館村は、原発から30キロ圏外だが、放射線量が高いことから、事故当初、全村が計画的避難地域に指定された。今年4月の帰村と小学校開校を目指しているが、幼い子どもがいる家庭を中心に、放射能による影響を不安視する声は絶えない。そのため、帰村して復興を目指す人々と、不安から帰村できない人々の間には大きな隔たりがある。

昨年7月に「居住制限区域」となった小高地区は、日中のみ出入りが可能になった。小高駅近くの教会を見てみると、壁には11年3月の予定表。年度末を迎え、イースターを待ちわびていたであろうあの時のまま時間が止まっていた。

そこに人の「日常」がない場所というのは、こんなにも「非日常」であるのかと思うほど、街の様子は、今まで訪れたどの場所とも、雰囲気も空気も異なっていた。

原発から10キロ圏内にある浪江町立請戸(うけど)小学校も訪れた。海岸からわずか250メートルのところにあるこの小学校は、津波で甚大な被害を受けたが、児童80人と教職員全員は奇跡的に無事だった。

「地震の後には津波が来る」と教えられていた子どもたちは、教員の指示に従って、近くの高台である大平山を目指した。しかし、道に押し寄せる津波が行く手を阻む。困り果てた教員たちを助けたのは、そこでいつも遊んでいた子どもたちだった。秘密の抜け道を知っていたのだ。子どもたちに導かれるまま山を登ると、目的地の請戸城跡にたどり着いたという。間一髪、難を逃れたのだった。

子どもたちと教師の信頼関係が全員の命を救ったこのエピソードは「請戸小学校物語」として1冊の絵本にまとめられた。また、これを紙芝居にして、各地の防災イベントでボランティアたちが伝えているという。

学校内は、あの日のままの形で残されていた。津波到達時間で止まっている教室の時計。破壊された給食室。床が大きくえぐるように抜けた体育館。11年3月の学級だより・・・。あの津波さえなければ、昇降口では、登校してきた子どもたちを迎え、元気よくあいさつを交わし合う声が響いていたに違いない。

ツアー終盤に訪れたのは、「帰還困難区域」である、原発のある双葉町。ここにはかつて「原子力、明るい未来エネルギー」という「安全神話」をうたう看板が掲げられていた。その撤去をめぐり、「負の遺産として保存し、人間の愚かさを後世に伝えるべき」とする人々と、「老朽化して危険」とする双葉町の間で議論はあったが、最終的に15年12月、取り外された。

「日常」と「非日常」が混在する場所で捧げる祈り 東日本大震災から6年
看板の撤去をめぐり、反対派の住人と双葉町の間で議論が交わされた。

原発が近づくと、立ち入り禁止区域を前に警備員が立っていた。彼らの多くが県外から派遣されてきた人々だという。

あらためて6年前を思い起こしてみる。大きな揺れの後、東京都内では公共交通機関が止まり、帰宅困難者がオフィス街のあちこちにあふれた。その後、人々は、食料、燃料、衣服に至るまで買い占めに走った。しかし、それも2週間ほどで落ち着き、「輪番停電」などの「非日常」があったものの、人々の生活はほぼ「日常」を取り戻していた。故郷を追われた人々や、不便な生活を強いられている人々、突然の別れに見舞われた人々がいることを見聞きしながらも、やっと取り戻した「日常」に満足していたのかもしれない。

今回、原発事故の被災地を巡り、6年前からたびたび考える疑問が再び心によぎった。

「この残酷で悲惨な出来事は神様の計画だったのか。それなら、なぜこんなにも苦しむ人々がいるのか」

三輪牧師にその疑問を投げ掛けてみると、このように答えてくれた。

「たくさんの方が苦しまれ、悲しまれたこの災害を、私には軽々しく総括することはできない。被災した方々と話していると、自分の無力さ、罪深さに苛まれる時がある。結局、私は彼らと『共感』することはできないのだということを思い知らされる。私たちが神の計画を理解することには限界がある。神の計画というのは、人知を超えている。もし理解できないのなら、私たちはただひたすらに、この出来事に神の計画があることを信じ、今もなお苦しみ、悲しみ続けておられる方への慰めを祈ることしかできないのではないか」

神様の計画が、時の止まったあの場所にも、フレコンバックが積まれた風光明媚なあの山間にも、かつて「安全神話」が掲げられていたあの場所にもあることを信じ、祈りをささげたい。

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