日本宣教論(34)日本国内の状況:勝算があっての開戦ではない・その2 後藤牧人

2017年3月8日16時18分 コラムニスト : 後藤牧人 印刷
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9・11のテロを防げなかったというので、ブッシュ大統領は国民に謝罪すべきかなどと米国のマスコミがうるさかった。

タイム誌の2004年4月26月号で米国の評論家チャールズ・クラウトハマー氏が言っているが、「ルーズベルトは『交戦中の国』から真珠湾の軍事攻撃を受けるという失態を演じたのに、謝罪などしなかった。彼は、これを自分の責任にせず、全部日本の邪悪のせいだとした。米国は日本を屈伏させたので、その後とやかく言われることはなかった」と、そのように論評している。

当時、米国は宣戦布告なしにドイツの海軍を攻撃しており、日本はドイツと軍事同盟を結んでいたので、自動的に交戦状態にあったことになる。クラウトハマー氏が日本を「交戦中の国」と呼んでいるのは、そのあたりを指して言っているのだろう。つまり、真珠湾は米国の失敗だったが、ルーズベルトはうまく処理した、と言っているのである。

日本は富国強兵を図った結果、明治維新から70年後には世界の大国となっていた。初めは欧米の技術を模倣したが、やがて日本独自の技術による新鋭の武器を備えた。英米の認識は、これを脅威とした。

この時、日本という存在は、千年以上に及ぶ「世界は白人のもの、有色人種はその奴隷、それは神の定めた秩序」という理念を否定しようとしていたのである。英米によって代表される欧州の思考からすれば、日本はこのように「神による聖なる秩序」の破壊者だったのである。

太平洋戦争に宣教学的な意義があるとすれば、それはこの秩序が破壊されたことである。それはまた、20世紀前半まで世界を支配したキリスト教という「宗教」の破壊でもある。(これは、あくまでキリスト教という「宗教」について言っているのであって、聖書の福音自体のことを言っているのではない)

それは福音の破壊ではない、むしろ「伝統的キリスト教」が「部分的にではあるが隠してきた福音」の再発見であり、顕揚(けんよう)である。

古いキリスト教信仰は、「白人文化は優れており、アジアなどの有色人種の文化は低劣である」という観念を併せ持っていた。それに従い、キリスト教伝道には2つの任務があった。1つは福音を宣べることであり、もう1つは低劣なアジア・アフリカの文化を駆逐し「キリスト教文化」を教える、ということであった。

これら2つともがキリスト教伝道の純正な部分である、とされていた。それに代わり「白人の文化も有色人種の文化も神の前に貴重で同等である」という概念に基づいて福音的信仰が成長していかねばならないのである。太平洋戦争はまさにその転換のキッカケのはずであった。

ところが、戦後約半世紀が経過したにもかかわらず、この転換は開始したが中断したままなのである。日本は白人の奴隷になることをずっと恐怖してきた。17世紀からの200年間は鎖国でどうにか防いだが、開国してから20世紀の半ばになってついに防ぎ切れなくなった。鬼畜米英が日本の正面におり、また後ろにはソビエト・ロシアがいた。残るは、名誉ある死のみである。

戦争に立ち上がった日本のことを、またその追い詰められた状況を誰が批判し、誰が笑うことができようか。ところが、これを軽蔑する風潮が戦後の日本にみなぎっている。これら日本の努力を嘲笑する態度の多くは、歴史に対する無知から来ていると言っても過言ではない。

真珠湾の真実―ルーズベルト欺瞞の日々』(ロバート・B・スティネット著、妹尾作太男訳、文藝春秋、2001年)は、賛同、反対にかかわらず一読すべきであろう。それによると、米海軍情報部は日本の暗号電信の解読に成功しており、毎日千通に及ぶ電信が解読されていた。真珠湾攻撃に動員された日本側の250隻の艦艇の動向も、完全に把握されていた。

ところが、大統領の命令で真珠湾の海軍司令官キンメル大将には、一切これらが知らされなかった。11月5日より太平洋の真空海域化が命令され、米の艦船は全てオーストラリア側を通るようにさせられた。このようにして、日本側の「奇襲」を成功させようとした。

米国側は、日本海軍は無線封止をして沈黙を守っていたと公式に主張している。また、海軍情報部の日本語解読部門250人の存在は隠されており、2度にわたる真相究明委員会にも情報部員の1人も喚問されていない。1997年の情報公開法にも、公共の利益のために公開しない例外規程があって閲読不能である。

米国は欧州でドイツと戦っており、この上、太平洋で戦争を始めるには何らかの衝撃的な出来事が必要であった。真珠湾攻撃が「成功」して、米国の領土に日本が一撃を加えるという出来事があって初めて、米国を総力戦にもっていくことができた。

著者のロバート・B・スティネットは、第2次世界大戦中の海軍将校、後に新聞記者。真珠湾の奇襲によって出た犠牲者は、米国の意思を統一するには安い代価だった。それがルーズベルトの思考であったとしている。

真相はいつしか漏れるものであり、キンメル司令官(この後、少将に降格)の遺族からは、名誉回復の願いが度々出されている。スティネットは海軍の記録が入手できないので、FBIなどに回っていた情報で公開されていたものから状況を推定している。

スティネットの見方によると。米国は日本に何重もの難題を吹っかけ、日本が開戦せざるを得ない状況に追い込んだ。その上で、日本の方がまず手出しをするように、その日本側からの一撃は海上ではなく、あくまで米領土であり、米国民が憤激して立ち上がるような衝撃でなくてはならなかった。

こうして米艦船の太平洋の航行を禁止し、ハワイの急襲が成功するように仕向けた。こうしてエトロフ島のヒトカップ湾からの出発、途中の日本艦船250隻の刻々の動きを全て把握していながら、肝心のハワイのキンメル司令官には一切これらの情報を与えなかった。

そのシナリオ通りに真珠湾の奇襲は成功し、米国は立ち上がって参戦し、日本はやがて完璧に打ちのめされた。そのかぎりでは大成功だった。白人と対等に付き合い、主張しようなどという日本人の愚かな考えはこうして完全に粉砕されたのである・・・。

なお、本書の末尾に歴史学者の中西輝政京都大学名誉教授は文章を寄せて、仮にスティネットのこの資料と分析が正しいとすれば、われわれ日本人の現代史についての理解は根本的に書き換えられねばならない、と言っている。

海行かば

戦時中に事あるごとに歌われた歌に「海行かば」がある。国民の祭日、兵士を見送る集会など、何か集まりがあれば、必ず歌われたものである。

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

(海を行くなら水に漬かる屍ともなろう
山を行くなら草の生える屍ともなろう
天皇陛下の足元にこそ死のう
決して後ろを振り向くことはない)

万葉集から取られたこの歌は、主君、または主君が代表する「国」のためには死ぬこともいとわぬ心情が歌われている。勝利の予感などはなく、死と滅びの悲壮感が中心である。古歌の中にはもっと別種のものもあったが、選ばれて愛唱されたのはこの歌だった。

ところが、1944(昭和19)年ごろから、これに代わって「御民われ」というやや明るいものが歌われるようになった。「海行かば」が、あまりにも悲観的なのに気付いて、別の雰囲気のものにしようとしたらしい。

御民(みたみ)われ
生ける験(しるし)あり
天地(あめつち)の榮(さか)ゆる時に
生(あ)えなく思えば

(日本国民である私は
ほんとうに生きがいがあります
天地の栄える時世に
生まれ遇わせたことを思いますと)

これは、栄光の時代に生きる特権のようなものを歌ったものであった。メロディーもやや明るい調子であった。しかし、現実は空襲が激化し、生産工場の全てが破壊されてしまう頃であった。

同じことは、軍歌(陸軍が行進しながら歌うもの)の「戦友」(此処(ここ)は御国を何百里 離れて遠き満州の・・・)についても言える。この歌詞はいわば「海行かば」の敷衍(ふえん)であった。これは厭戦的であるとして、戦争末期に軍隊では歌うことを禁止された。ただし、禁止は民間にまでは及ばず、引き続き好んで歌われたものの1つであった。

ベネディクトの疑問

米国の文化人類学者ルース・ベネディクトは『菊と刀』において、これらの日本の軍歌について、それが西欧の常識よりすれば反戦歌であり、勝利の輝きなど不在であると言って不審に思っている。

また、ベネディクトは戦時中の日本映画について、最後のシーンに戦争で不具になった息子が、戦死した父の遺骨を首から下げて、これも戦争で片足を失った叔父との2人連れで夕日の彼方ヘトボトボと歩いていく、そういう後ろ姿のラストシーンなどが使用されており、戦場で兵士たちの娯楽としても上映されている、という。

ベネディクトは、これを全く理解できないという。西欧の常識からすれば、戦意を高揚させるためには勝利の映像を描かねばならない。ところが、これら日本の映画は全く反対である、と。

日本は絶望したから戦ったということではないか。アジア、アフリカの民は全て人間の誇りを忘れ、西欧人の下に屈服している。しかし、日本人にはそれはできない。日本は西欧に対する屈伏は拒否し、むしろ名誉ある死を国民全体で選んだということではないのか。

1940(昭和15)年ごろからは、どこでも町中に「ガソリンの一滴は血の一滴」という節約の標語が貼られていた。日本には石油が産出しないことを、そしてそれを購入するのは全て西欧から、または西欧の植民地からであることを国民は思い知らされていた。

(後藤牧人著『日本宣教論』より)

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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)

後藤牧人著『日本宣教論』

日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。

(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)

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後藤牧人

後藤牧人(ごとう・まきと)

1933年、東京生まれ。井深記念塾ユーアイチャペル説教者を経て、町田ゴスペル・チャペル牧師。日本キリスト神学校卒、青山学院大学・神学修士(旧約学)、米フィラデルフィア・ウェストミンスター神学校ThM(新約学)。町田聖書キリスト教会牧師、アジアキリスト教コミュニケーション大学院(シンガポール)教授、聖光学院高等学校校長(福島県、キリスト教主義私立高校)などを経て現職。

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