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赦すことで癒やされる 菅野直基

2016年12月28日11時23分 コラムニスト : 菅野直基 印刷
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赦すことで癒やされる

「人を赦(ゆる)さない心」は、自分を苦しめます。しかし、「赦す」ことで自由になります。

「赦し」とは、ただ1回のことではなく、現在進行形であり、終わりのないプロセスです。ですから、何度も途中で赦せなくなって裁きたくなることが起こり得ます。

ある男性が、休暇を取ってハワイに旅行しました。朝早く、きれいな道をジョギングしていますと、道端にビールの空き缶が何本か捨ててありました。その瞬間、怒りが込み上げてきました。「こんなに美しい場所に空き缶を捨てるとは何事だ! 何て無神経なやつだろう」と考えているうちに、ますます怒りが込み上げてきました。

怒りながら、空き缶の脇を通り過ぎて、ホテルに戻ろうとする頃には、心は怒りでいっぱいでした。

そんな時、心の中で「待ちなさい。空き缶を捨てた人の非を裁くよりも、戻って拾ったらどう?」という内なる声が聞こえたそうです。

空き缶ごときで一日中人を裁きながらムカムカ過ごすよりも、自分でできる解決をしたらよいのではないかということです。

自問自答しました。空き缶を拾いに戻れば数分かかり、友人との待ち合わせの時間に遅れてしまうかもしれない。そこまでして空き缶を片付ける価値があるだろうか?

しかし、その場所に戻って空き缶を拾いました。その瞬間、心の中のムカムカが消えて、安らぎと喜びに満たされました。

ホテルへの帰り道、若い頃の記憶がドッとよみがえってきて、昔、車の窓からごみをポイ捨てしたことなどを思い出し、自分自身もその空き缶を捨てた人と同じように、無神経なことを行ったことに気付きました。

空き缶を捨てた人を裁いていた心の一部は、自分自身への罪責感の投影であったのです。

空き缶を拾ってゴミ箱に捨てる行為は、天国のように美しい島を大切にする以上に、自分を過去から解き放ち、自分を裁く気持ちから自由になることを学んだといえます。

人を裁いてイライラする代わりに、戻って空き缶を拾ったことで、自分自身が過去の行動について引きずっていた感情から自由になれたのです。

「赦し」とは、「赦せない相手」の謝罪を受け入れることで、「赦す気」がなくても、建前上「分かりました」「赦しましょう」と言うものだと考える人は多いと思います。

また、「赦さない」のは、自分を傷つけた相手から自分を守るためだと考える人も多いでしょう。

「赦し」とは、「赦さない」という地獄の苦しみから自分を救い出し、自由にすることです。

「赦さない」と、憎しみや恐れ、怒りの感情によって、体は極度の緊張状態になり、血液循環を悪くし、免疫力が下がり、心臓や脳やあらゆる器官にストレスを与えます。お酒や一時の快楽などのストレス解消に身を委ねて、「赦さない心」や「裁く心」からくる苦痛を和らげようとする人がいますが、悪循環であり、健康上においても、精神的にもますます深刻な問題になっていきます。

今日私たちが、赦しを決断するならば、自らに「癒やし」をもたらすことができます。お酒なども必要なくなりますし、体を健康に向かわせます。実際、人を「赦さない心」ががんの原因になっているというデータもあるそうです。

「赦す」ことで癒やされます。「赦し」を決断し、「赦し」に向かいませんか? これが自分自身を癒やし、幸せにします。

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