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日本聖公会京都教区主教に辞職勧告 高地敬主教インタビュー(1)

2016年8月26日19時01分 記者 : 土門稔 印刷
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+日本聖公会京都教区主教に辞職勧告 高地敬主教インタビュー(1)
日本聖公会京都教区の高地敬主教
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1980年代に日本聖公会京都教区の牧師が複数の女性や子どもに性的虐待を行っていた「京都事件」の対応と責任をめぐり、同教区の高地敬主教に対して、同教区常置委員会から5月6日付で「辞職勧告」が提出された。

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この件につき、日本聖公会京都教区に取材を申し込み、同教区事務所で8月上旬、高地主教が約2時間半にわたり取材に応じた。

Q. 5月6日に京都教区常置委員会から辞職勧告が提出されましたが、今の状態を率直にお伺いさせてください。

(辞職勧告を受けて)その後、教区主教として7月8日に牧会書簡を出しました。そこにも書きましたが、この問題について「真の謝罪に至るようにやっていかないといけない」と思っています。最高裁判決からもう10年以上になりますが、一貫して謝罪が届くようにと思っているわけですが、そのための道筋をどのように整えるかについて聖職、信徒の中でいろいろ考え方の幅が大きいのが現状です。

一番大きいのが、被害者のご家族の代理人である鎌田(雄輝)司祭とどう交渉するのかということ、そして私自身が辞職するべきかなのかどうなのかについても、考え方の幅があります。

今の常置委員会の考え方としては、3年前から鎌田氏をきちんと被害者の女性の代理人として話し合うということを決めて、その方針です。そして私、高地は辞任すべきだという考え方から辞職勧告を出したということです。

それに対して、それを支持する意見と、批判する意見がたくさん出ています。私自身は、今の状況では考え方の幅があまりにも大き過ぎますので、この方針で行くといっても、その路線にうまく乗り切れない方たちがたくさんいる。辞めたとしても後に混乱が残るだけであり、謝罪の主体が混乱したままでは、謝罪が成立しないと思っています。また常置委員会のありようや、代理人の方に疑問や批判を持っている方も非常に多いです。

7月8日に私自身が書いた牧会書簡を今の常置委員会が私の想像以上に受け入れてくださり、これから一緒に真の謝罪を考えていこうということになっています。常置委員会には当然私も出席していますが、7月12日にも定例の常置委員会があり、だいぶ雰囲気が変わってきています。

今はとにかく被害者Aさん、他にも被害者の方がいらっしゃいますが、Aさんにきちんと謝罪をしなければということで一致しています。繰り返しになりますが、その道筋についての考え方に幅があるということです。

Q. 常置委員会は日本聖公会の法憲法規によると、毎年改選され、教区の主教を補佐する委員会として設置する、決定に関しては主教の承認を得てと規定されています。本来は常置委員会の中で常置委員の方と教区主教はいつも定期的に会合を持っていらっしゃるわけですが、辞職勧告が出されたというのは、どのような経緯だったのでしょうか。

前の年から常置委員会の中で、文書での質問が私に来て、それに文書で答えざるを得ないというような状況になってしまっていました。直接口頭でこういうことを話すと差し障りがあると、常置委員の誰かが考えられたのだと思いますが。

ただ(5月6日の辞職勧告を受けて)7月には私の名前での書簡を提出しましたが、先ほど述べましたがだいぶ雰囲気が変わってきました。今月中に、さらに私と常置委員と連名で、教区として頑張っていくから見ていてください、そしてお祈りしてくださいという趣旨の文書を出すので、教区内のさまざまな意見の方も推移を見て、一度落ち着いてくださいという形にしていただく予定です。

普通なら、辞職勧告を出した側と出された側が一緒にやっていくというのはおかしなことだと思うのですが、常置委員会としても、辞職勧告を一度出したのを撤回するのは、とても難しいのだと思います。常置委員会よりさらに極端な意見の方もいらっしゃいますから。

さらに辞職勧告を撤回すると三次、四次加害になってしまうという考え方もあります。ですから撤回しないでなんとかしていかなければという方向で今後行くだろうと思います。そして今年11月の(京都)教区会で報告して、教区の皆さんがどう判断されるかということですね。

Q. 法憲法規上は、常置委員会は本来主教の承認を得てということなので、「辞職勧告」はなんら制度上、強制力があるものではないわけですね。

私自身としては、辞職勧告そのものは当然、(主教として)私は普通承認しないだろうということです。それと「辞職勧告」文書を全国の(11の)主教と教区常置委員会に発送した、そのことについて承認していないというのが正確なところです。手続き上問題がある、丁寧さに欠けると怒っている方もいますし、常置委員会もそれを少しは認めているようです。私自身もそう思っていますが、そのような手続き上の細かいことを議論しても仕方がないとも思っていますし、それより実質的なきちんとした謝罪に至る道を考えたいし、実行していきたいと考えています。

Q. 最高裁で判決が確定し11年たつわけですが、その間に被害者の女性にお会いすることはあったのですか。

2005年9月5日に原田(文雄)司祭は退職しました。その後、私の方からお父様に連絡を取って「本当に申し訳ありませんでした。お会いください」と連絡を取っていましたが、「会いません。教区は信頼できません」とおっしゃっていました。

しかし、お会いしなければと思い、月1回の家庭の礼拝に伺うことにし、10月の第1日曜に家庭礼拝に伺い、その後昼間に2度ほど自宅に伺っておわびするとともに、どうしたらいいかということについてお話し合いをし、その際に被害者の女性ご本人も交えてお話ししてきました。

ご本人からは14項目ぐらいの項目を出されました。その中で(事件当時常置委員で原田司祭からの聞き取りも行っていた)古賀(久幸)司祭が、教会の牧師と神学校の教授、常置委員を辞任するべきだとおっしゃっていたので、それは次の3月にすぐに実行しました。それとお父様から「謝罪の新聞広告を出していただきたい」とおっしゃっていたので、それについては話し合いをしました。そして12月に奈良県庁で記者会見を行い、テレビもNHKなど3局ぐらいニュースで報道され、新聞でも報道されました。

Q. その記者会見とは「辞職勧告」「謝罪」「謝罪に添えて」で触れられていますが、2005年7月の最高裁判決確定後、京都教区が報道陣に対して「判決には驚いているし、裁判には憤慨している」「事実無根だ」という声明をされたという件についてですね。これはどのような経緯でそのような声明を出されたのでしょうか。

2005年7月に最高裁判決が確定し、その後被害者の方が新聞などに「判決が出たが京都教区が何もしないという」とコメントされ、京都教区事務所にいろいろなメディアの取材が始まりました。それに困った京都教区の広報対応をしていた総務局長から「どうしましょうか?」と聞きに来たので、私は「ノーコメントですね」と述べました。「それでもしつこく聞かれたらどうしましょうか?」と聞かれたので、「事実無根で憤慨しているとでも言うんですかねぇ」と言い、それがそのまま出てしまったということです。

Q. これは二次加害としても列挙されていて重要なポイントだと思うのですが、その場でそう言ったことがそのまま、メディアに出てしまったということですか。

そうですね。これは本当に二次加害になってしまったと思います。ただ、これはもちろん、教区主教である私が言わせてしまったということで、私の責任です。その撤回と謝罪の記者会見を12月にしたということです。

その後、2006年3月の第1日曜の夜に礼拝がありまして、帰りの夜道でお父様と歩いていると「教区がここまでやってくれるので、もう気持ちを収めようかと娘と話し合ったんです」とおっしゃっていました。記者会見のことについてです。これはとてもうれしかったです。

でも私としては、これからもできるだけ礼拝に行き、顔を合わせて頭を下げることをずっと続けなければならないと考えていたのですが、その後、事件を知った別の元信徒の方が関わるようになり、また状況が変わってしまいました。

その元信徒の方が、初めのうちは電話でご自身が知っている聖公会関係の聖職や信徒の家に電話をかけまくり「京都教区はとんでもない」と言って回った。そして毎日メールをあちこちに出されるようになりました。中には事実と異なることも書いてありましたが、それに対してこちらが何かを言うと増幅させてしまうので、教区としては何も言いませんでした。

Q. その元信徒の方は個人として関わっていらっしゃったのですか。

はい。2006年の2月ごろからそういう活動をされて、6月にご家族と会われたそうです。8月に、私とその元信徒の方と、被害者のお父様と一緒にお会いし、事件当時京都教区が原田司祭にどう対応したかについての経緯を書いて話し合いをしました。その後、文書を数回出しながら何度もご連絡を取っていました。

その間も元信徒の方は「教区は何もしない」というメールをあちこちに出されていました。そのメールの受取人の1人だった横浜教区の鎌田司祭が、2007年2月に被害者のお父様と代理人契約をされて、その後は代理人を通してしか連絡が取れなくなってしまいました。

元信徒の方や代理人となった司祭は、京都教区のいろんな教会に行って、教会の前や中で、京都教区はとんでもないという文書をまかれました。トラブルになることもあり、牧師によっては警察を呼んだところもあったそうです。また原田司祭が園長をしていた幼稚園の入園説明会に行って「とんでもないところだ」という文書を配られたそうです。

Q. 被害者のお父様に会われたのは2006年が最後になったということですか。

礼拝に伺いごあいさつしたり、教会の何かの機会でお顔を合わせるときはあり、その時は近くに伺い頭を下げるということはありましたが、直接被害者のお父様と顔を合わせてお話ししていたのは2006年3月が最後です。その元信徒の方なども交えてお会いしたのが8月ということです。

Q. 被害者の女性から代理人の鎌田司祭を通じて2007年2月に「和解のための三条件」というものが出されていますね。

和解のための三条件

1)(事件が発覚した際に原田元牧師から聞き取りを行っていた当時の京都教区の)武藤(前)主教(2003年に定年で退任)と、古賀久幸司祭が教育界および教会勤務から離れること。ただし、教会附属福祉施設は可とする。

2)(注:2001年当時京都教区が原田元牧師の)加害を認めたにもかかわらず、退職を撤回した経緯の詳細を文書化すること。(当時の)詳細な討議内容を提示すること。

3)上記の条件が満たされたと代理人が判断した上での、謝罪訪問。

という内容のものです。

Q. 判決から11年、和解三条件が示されから9年になるわけですが、この条件がまだ満たされていないため、和解がなされていないと考えてよろしいでしょうか。

そうですね。それと被害者の方が要望されていたのは、2001年当時の経緯についてです。京都教区が(当時の)武藤前主教も古賀司祭も、原田がクロだと知っていてシロだと意図的に隠蔽(いんぺい)したのではないか。それを認めなさいとおっしゃっていることです。これについては、教区の審判廷では、2人への懲戒はされませんでした。

(当時の状況を)武藤前主教に伺うと、当時原田司祭が自分なりにやったようなことを言っていたけれど、具体的なことは言っていなかったということでした。古賀司祭に対しては「触った」というようなことを言うけれども「本当にやっていないのか」と聞いたら「やっていない」と言ったから、信用したと言っています。そして2001年4月の常置委員会の席で、原田司祭は自分の「退職願い」を出して出て行ったという状況でした。

それを受け、被害者からの訴え書を原田牧師に見せたのかということが言われ、武藤(前)主教が訴え書を読みましたが、あまりにひどい内容だったということです。訴え書を持ち、2人が翌日原田司祭の勤務教会に行って見せたら「こんなことは絶対やっていません」と言ったという。それで、前日に決まっていた退職がひっくり返ってしまったというのが発端です。その場で原田司祭と古賀司祭のものすごい口論があったそうです。武藤前主教はその剣幕に押し切られてしまったと聞いています。

隠蔽したのではないかと疑われかねないいろんな状況証拠はあったんです。しかし、私から見ると確定的な証拠ではないと思いますし、2009年の審判廷でも「隠蔽」とは判断されませんでした。審判廷は刑事裁判ですので、疑わしきは罰せずということになるのではないかと思います。古賀司祭に何度も聞いていますが、意図的には隠蔽しないと言っています。教区として意図的な隠蔽はしていない、と繰り返し申し上げています。続きはこちら>>>

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