なにゆえキリストの道なのか

なにゆえキリストの道なのか(68)創世記によれば、千年近く長生きした人々がいる 正木弥

なにゆえキリストの道なのか(68)創世記によれば、千年近く長生きした人々がいる 正木弥

人間の体は約60兆個もの細胞から成り立っていますが、細胞は絶えず新陳代謝をしています。宇宙線は人間の細胞を傷つけるので、宇宙線が多くなれば当然、新陳代謝に悪影響を与え、それが積もって、死に至る確率が高まります。

2016年12月04日22時24分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(67)創世記の記事より進化論の方が正しいように見える 正木弥

ダーウィンは、1869年の手紙の中で、「正確に言うと、種の変化は証明できない。想定する変化が種に有利となるかどうかも実験できない。残念ながら、それしかない」と述べています。

2016年11月27日23時39分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(66)天地創造は本当に6日間でなされたのか 正木弥

聖書の創世記では、第1章第1節で「初めに、神が天と地を創造した」との総括の宣言があります。次に、第2節で「混沌・荒廃」についての記述があり、そして第3節から第2章第1節までが創造の6日間の記事です。

2016年11月20日23時21分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(65)天地創造の記事は“おとぎばなし”のように見える 正木弥

人類の歴史のほとんどの時は、科学が未発達でした。ほとんどの人がいわゆる教育も受けておらず、字を学ぶことすら十分にはできませんでした。そのような人々の多くが理解できるように、簡明でやさしい表現で創造のありさまを伝えようとされたのです。

2016年11月13日21時21分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(64)天地創造以前には何もなかったのか 正木弥

この場合の“天地”が宇宙を意味するなら、その創造以前は物質的なものは何もなかったのでしょう。神は霊的存在であって、天上界で独立自存の状態で永遠の昔から存在しておられました。

2016年11月06日20時48分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(63)宇宙の初めはビッグバンか、聖書の天地創造はこれとは違うのか 正木弥

聖書の創世記1章、2章は天地創造の記事ですが、そこではっきりと記述しているのは、地球の上空わずかと地表面の創造、それに、植物、動物、人間の創造です。

2016年10月30日8時16分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(62-2)この世界を神が創造したという証拠はどこにあるのか 正木弥

全ての生物が細胞を基本単位として構成されている。単細胞生物は例外的で、ほとんどの生物は細胞が多数集まって多細胞生物となっている。

2016年10月24日6時59分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(62-1)この世界を神が創造したという証拠はどこにあるのか 正木弥

1990年、私はブラジルを旅行した。現地の人の案内で、アマゾン川の中州の島を見物に出掛けた。それは、人跡未踏のジャングルのようであった。

2016年10月17日7時02分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(61)世界は始まりがなく、永遠の昔から一定に存在していたのでは 正木弥

これも考え方の1つとしてはあり得ることで、神による創造のない科学説・世界観です。近代では、フレッド・ホイルらによって主張されました。

2016年10月09日18時53分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(60)偶像崇拝はなぜいけないのか 正木弥

古代エジプトでは、さまざまな鳥、獣、自然物が拝まれました。タカ、牛、山犬、ワニ、コブラ、太陽…ある学者がエジプトの神々の一覧表を作ろうとしたところ、その数のあまりの多さに圧倒されてやめてしまったとのことです。

2016年10月02日22時55分

なにゆえキリストの道なのか(59)聖霊はどのような存在なのか 正木弥

なにゆえキリストの道なのか(59)聖霊はどのような存在なのか 正木弥

聖霊は、「神の霊」とも「御霊」とも呼ばれ、「神」を構成する神です。前回の図で言えば、粒々のみかんに当たるものです。

2016年09月25日17時37分

なにゆえキリストの道なのか(58)三位一体の神は3つの神に見える、唯一ではないではないか 正木弥

なにゆえキリストの道なのか(58)三位一体の神は3つの神に見える、唯一ではないではないか 正木弥

聖書の言葉ヘブル語では、「ただひとり」とか「1つ」は、「エハド」の語が用いられています。それは単一個体だけでなく、複合的な統一体である場合もあります。

2016年09月18日6時23分

なにゆえキリストの道なのか(57)三位一体の神とはどういうものか 正木弥

なにゆえキリストの道なのか(57)三位一体の神とはどういうものか 正木弥

目に見えない神を、目に見えるように、図で描いて説明しましょう。

2016年09月11日6時51分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(56)神がほめたたえられたいというのは虚栄にとらわれた人間のよう 正木弥

人は、仮に、その現実の姿、あるいは言動やその結果が他の人よりも秀で、優れ、立派であるにしても、それはあくまで人と人との比較によるもので相対的なものです。人には限界があり、所詮(しょせん)はドングリの背比べに過ぎません。

2016年09月04日16時55分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(55)愛の神がねたむのは神にふさわしくない 正木弥

“ねたみ”とは、一般に、他の人間が自分より立派とか、良い状態にあるとか、自分より愛されているとかのため、そうであってほしくない、という感情であって、自己中心的な醜い精神作用であるといえます。その底辺には、自分の栄光を求める気持ち、自分への愛をむさぼる姿があります。

2016年08月28日6時21分

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