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コプト正教会の信仰(2)聖マルコにさかのぼる信仰の歴史 シェリー・メガリー

2017年1月1日17時48分 コラムニスト : シェリー・メガリー 印刷
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コプト正教会は世界で最も古い教会の1つで、聖マルコによって設立されました。彼はエジプトのキリスト教に改宗した人々に請われ、ギリシャ語で「マルコによる福音書」を書きました。

聖マルコが紀元61年ごろにアレクサンドリアに到着したとき、彼は、この古代の偉大な都でエジプト人たちが異教の神々をあがめる様子を目にします。長い時間歩いた後、彼は破れた靴を修繕するため、アニアノスという名の人物が営む靴屋にやって来ました。

靴が直されるのを待っていると、突然、アニアノスが誤って自分の指に錐(きり)を突き刺してしまい、叫びました。「エイス・テオス!(痛い!)」。この言葉はギリシャ語で「1つの神」という意味にもなります。これを聞いて聖マルコはとても驚きました。このことが、彼が唯一の神について話すきっかけとなりました。

使徒は少しばかりの粘土を取り、つばを混ぜてこね、アニアノスの傷ついた指に「神の御子、イエス・キリストの御名において」と唱えながら塗ると、傷はたちまち跡形もなくきれいに治ってしまいました。

聖マルコはアニアノスの家族に教えを説き、洗礼を授けました。こうしてアニアノスはエジプトにおける最初のキリスト教徒となり、聖マルコと共に、多くの人々の回心のために伝道を始めました。しかし、これに怒った異教徒たちが、彼らを迫害するために捜し始めたので、聖マルコは危険を察知し、エジプトを離れる前に、信徒の群れを世話するための1人の司教(アニアノス)、3人の司祭、7人の助祭(輔祭)を任命し、それからローマへと旅し、聖ペトロと聖パウロに会いました。

聖マルコは紀元65年にエジプトに戻り、ローマ帝国内で最初のキリスト教の学校であるアレクサンドリア教理校を設立しました。彼は「マルコによる福音書」を書いただけでなく、教会のために「聖マルコ典礼(奉神礼)」をも書き記し、それが今日の私たちの典礼の元となっています。

聖マルコは最初のアレクサンドリア教皇(Pope)となり、彼が紀元68年に殉教したとき、アニアノスが2代目の教皇となりました。現在の教皇はタワドロス2世聖下で、第118代アレクサンドリアのコプト正教会教皇として、2012年に選出されました。

最初の改宗者アニアノスの物語は、教会の日曜学校で何度も語られ、コプト正教会の人々は機会あるごとに読み聞かせられています。私はこの物語を耳にするたびに、神の奇跡や優しさについて、いつでも話ができる用意が必要だということを常に思います。

神様の愛を証しするために、神様は、ちょうど使徒たちになさったように、私たちにたくさんの機会を与えてくださいます。どうか聖霊が私たちを導き、常に主の御業に備える手助けをしてくださいますように。アーメン。

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シェリー・メガリー

シェリー・メガリー(Shery Megaly)

日本に住むコプト正教徒。父はエジプト人で母は日本人。エジプトで生まれ、オーストラリアで育つ。赤ん坊の時に洗礼を受け、以来ずっとコプト正教会に通っている。

「残念ながら、日本ではクリスチャンの方々にさえ、エジプトのコプト正教会のことはあまり知られていません。日本の方々が私たちの教会、約2千年間途切れることなく続いている歴史や信仰、伝統について興味を持ってくださったらうれしいです」

2016年7月に日本で正式な会堂としては初めて拠点を構えた「聖母マリア・聖マルコ・コプト正教会」(京都府木津川市)のホームページ

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