CT: 現在の日本の社会状況、および霊的な状況をどのように感じておられますか?
〜神様の御心は変わることがない〜
ムーイ師: 神様の視点と人間の視点は全く反対であると考えています。人間は神様の視点をもっと真剣に悟ろうとしていかなければなりません。神様は初めから日本を愛されておられ、聖書に基づけば、神様は何ものをも滅ぼされたいとは思われないお方であり、すべての人を悔い改めに導きたいと思っておられます(ヨハネ3・16、Ⅱペテロ3・9)。ですから日本で生じるすべてのことは神様の御心の中にある真実に基づいて生じているのだと思います。神様は人々をご自分から引き離されようとはされず、むしろご自分にどうにかして近づけようとさせられるお方です。
(このような神様の視点から見ますと)大震災は、地球規模で人間たちが自己中心的であり続け、己の欲望を満たそうとする思いで生き続けており、そのような邪心が自然の法則をゆがめることにつながったため生じたのだと思います。決して神様の御心によって大震災が生じたのではありません。-世界中の人々が終わりの日のことについて聖書に書かれてあるように、自己中心的になり、隣人を愛さないようになってしまったため、今日あるような消費社会が生じ、自分だけを喜ばせるようになってしまいました。
ですから、人間の在り方が間違ったのであり、神様が間違ったのでは決してありません。神様は完全なお方です。肉的な人間の生というものは、常に良いもの、真実なるものを捻じ曲げようとする傾向があります。そのため、神様の定められた自然の法則が人間の考えにより変えられてしまうようになってしまいます。そういうことがこのような災害につながってしまっているのだと思います。
一方でどんなことが起きようと、神様の御心は変わることがありません。すべての歴史で起こる出来事を通して、神様は人々が神様を知る機会を与えてくださろうとされておられます。神様を知ることには、ときには困難な手段を通じて、津波などを通して、知るようになることがあります。神様は私たちを愛しておられますから、艱難を通して、人々が神様を呼び求め、神様の助けや答えを得ようとすることを願っておられます。ですからこのような大きな艱難に置かれたときにこそ、神様はご自身を私たちに示そうとされたがっておられるでしょう。
〜キリスト者として「終わりの日」に備えた生活スタイルの転換が必要〜
私がもっとも重要であると信じていることは、オリーブ山でイエス・キリストが弟子たちに個人的に教えられた終わりの日に関する教え(マタイ24章)です。イエス様は群衆を前にしてではなく、弟子たちに個人的に世の終わりの前兆について具体的に教えられました。これらの前兆は、神を知らない人には理解することができません。しかしキリスト者にははっきりとわかることです。災害やききん、戦争、疫病、これらはイエス様がすぐに来られる兆候であると神様は聖書を通して諸教会に警告されておられます。ですから諸教会はこのような終わりの日に関する御言葉を真摯に受け入れて、終わりのときに備える教会の姿へと変わっていかなければなりません。
たとえば、もし身内が危篤状態を迎えたら、家族の振る舞いは変わり、お金を稼ぐことがこれまでの家庭生活の主たる目的であったとしても、もはやお金は重要ではなく、その危篤状態の身内を助けるために全財産を費やそうとするのではないでしょうか。私たちはとても忙しく毎日を過ごしていますが、神様の助けを得るために、日常の動作から離れる時間を取らなければなりません。ショッピングをして、食べたり遊んだりするような消費社会を中心とした日常生活は、すべて「終わりの日」に向かって変革させていかなければならないでしょう。
キリスト者として私たちが「終わりの日」を自覚するならば、私たちの生活スタイルが変わらなければなりません。私たちは多くの人たちのように金銭崇拝のために時間を費やしていてはいけません。これまで金銭崇拝に時間を費やす一方、神様に対してはあまり時間を費やすことができなかった姿はないでしょうか。私たちの心を清く、心を神様に近づけて、「終わりの日」に備えて福音を宣べ伝え、教会を活性化させていかなければなりません。
私たちの生活スタイルと生活の優先事項が変わらなければなりません。なぜなら私たちキリスト者は聖書に書かれてある「終わりの日」が近づいているという御言葉が真実であるものと既に受け入れているのですから。キリスト者がまずそのような生活の見本を示していかなければならないでしょう。
CT :日本でどのようにしたら伝道は成功するでしょうか?指導的な立場で伝道に取り組む日本の教会指導者の方々へ励ましのメッセージをいただけますか?
〜救われていない人たちの必要に応えていくことが大事〜
ムーイ師: 日本は、キリスト教会にとって収穫すべきものがたくさん残っている状態にあると思います。ほとんどの日本人はまだキリストにあって救われていない状態にあります。もしこのような日本社会にあって、福音を宣べ伝えることがとても大変で、誰も信じてくれないように感じられるのであれば、それは認識が間違っているのではないかと思います。実際まだ日本では多くの人たちが福音を受け入れていない状況にあります。ですからキリスト者は福音を継続的に述べ伝えていかなければなりません。そして日本のキリスト教会の潜在的な市場はあまりに巨大ではないのでしょうか。
世の中的な例を挙げますと、生命保険市場において、生命保険代理店は、さらなる新規契約者を見つけるのに困難を感じているのがわかります。しかし世界の生命保険市場を調査してみますと、世界平均で見ればそれぞれの国の国内総生産(GDP)の10パーセント未満しか生命保険に費やされていないことがわかります。ではなぜ生命保険代理店はまだ新規契約していない人たちが新規契約できるようにするのに困難を感じているのでしょうか。それは多くの路上にいる人たちの必要に生命保険商品がマッチしていないからでしょう。
ここから示されるキリスト教伝道における問題は、「まだ救われていない多くの人たちが、今まさに必要としていることを見つけられていないから」といえるのではないでしょうか。私たちキリスト者がまだ救われていない人たちの必要をしっかりと見つけられていない。もし彼らの本当の必要に焦点をあてるなら、彼らはそれを通してイエス・キリストを知ろうとするでしょう。
ですからまだ日本では刈り入れるものはたくさん残っていると言えるでしょう。キリスト者がまだ救われていない人たちが人生の飢え渇きを満たすために何が必要であるか正確に理解し、その必要を提供してあげられるのであれば、教会はすぐに満員となることでしょう。救われていない人たちが必要としていることの答えは、神様の御言葉の中にあります。ですから私たちは今一度「使徒のはたらき」に書かれてある初代教会の在り方を振り返ってみる必要があると思います。
当時もまだほとんどの人たちがイエス・キリストを信じておりませんでした。初代教会の使徒たちは、聖霊のはたらきによってイエス・キリストが行う働きを代わりに行っておりました。ヨハネ福音書17章に書かれてあるとおり、神様がイエス・キリストを遣わされたように、イエス・キリストが使徒たちを遣わされました。イエス様がされたように聖霊に満たされた使徒たちが病にある人たちを癒し、当時の社会の困惑した状況に対する答えを提示していきました。新たに生まれ変わり、恵みによって生きて行くことが大切であると大胆に伝えていきました。そのようにイエス・キリストの教えを初代教会が広まっていった在り方に倣って伝えていくことが、伝道において重要な姿勢であると思います。
次ページはこちら-[神に用いられる尊い器となるためには?]