床屋談義(4)「幸」の字で思うこと 臼井勲

2017年8月5日16時16分 コラムニスト : 臼井勲 印刷
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2009年の鳩山政権誕生でファーストレディーになられた幸(みゆき)夫人の言動が、当時話題を呼んだ。「幸」を「みゆき」と読むのは、「御幸」あるいは「御行」が「天皇が外出されること」で「みゆき」ということから来たと思われるが、普通は「さち」と読むのが自然である。

古語辞典を引くと、この「幸(さち)」は、神話の中の海幸(うみさち)の名前のように、海で漁をすること、またはその獲物のことをいうとある。そして、それが「しあわせ」をもたらすので、幸福の意味でもあるという。

その時の選挙では、「幸福実現党」から多くの候補者が出たことも印象に残っている。この「幸福を実現する」というのも、幸福とは獲得物であり、そこから得られる富を持つのが幸福ということになる。幸福とは、果たしてそれだけだろうか。

有名な詩に、「山のあなたの 空遠く 『幸』住むと 人のいふ」とあるが、この「幸(さいわい)」は、理想として追い求める、目に見えない心の希望、幸福感のような抽象的な世界を指すもののようでもある。「幸」とは何かと人に問えば、十人十色、百人百色の答えが返ってくるであろう。

ある時、漢字博士、白川静の『字統』でこの「幸」の字を調べてみた。驚いたことに、何とこの「幸」の字源は、手かせ(手錠)の形から来ているのだ。その説明は、罪を犯して手錠をかけられた状態にならないこと、ひどい目に遭わないで済むことを表しており、このことが広く「幸い」「しあわせ」の意味となったとある。手錠をはめられ、自由を奪われた状態、苦しく、悲惨、不自由、すなわち「不幸」といえるであろう。

昔、僕は結核で長期入院している母方の叔父を見舞ったことがあった。この叔父は戦争に行って、敗戦と同時にソ連に抑留された。1948(昭和23)年ごろにようやく解放され、帰国できた。

その後、日通に勤めて、主に美術品の梱包、輸送の分野を開拓した人だった。病魔により再びベッドにその肉体を縛られる状態になった。その病床で、叔父が今までの人生で一番幸福を感じた瞬間について話してくれた。「あのラーゲリ(強制収容所)から解放された朝、真っ青な大空の下で、せいせいと野糞をたれたときほど、幸せを感じたことはなかった」と。

確かに、足かせを解かれて自由になったとき、人は幸福を感じる。強力な抑圧や支配からの解放、これが幸せといえるのは本当だろう。しかし、人はその後自由になって何の束縛もなくなり、何もすることがなくなると、幸せ感が薄れていく。この頃、僕はこの足かせの状態こそが幸せであるという逆説も真なりと思うようになった。

エディ・マーフィの主演する映画で、彼が刑期を終えて出所するのを刑事が外で待ち構えていて、無理やり彼と自分の腕に手錠をかけ、結んでしまうというのがあった。ある事件の解決にぜひとも彼の協力が必要であるからという理由で、ムチャな話である。

どこへ行くのも、トイレに行くのもいつも一緒の生活が始まるというコメディー・タッチの物語である。初めはイヤで不自由でしょうがないが、一緒に悪者を追い詰めていくことにやがて生きがいを見いだしていく主人公の姿が描かれる。

意外と人は、誰かと何かと手かせで結ばれて協力させられ、協力していることを幸福と感じているのではないかと思うようになった。4歳の孫のモモちゃんを見ていると、とにかくママの手とつながれていることが一番の幸せなのである。

使徒パウロは、その手紙の中で「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリピ4:4)と書いている。この手紙を出している彼自身はローマの獄につながれていて、しかも彼は自分を「キリスト・イエスの囚人」(エフェソ3:1)と紹介しているのである。

賛美歌の中に「主よ、われをば とらえたまえ、さらばわが霊(たま)は 解き放たれん」(讃美歌333)という1節があるが、この逆説的表現の中に、人間が持っている幸福感の不思議な消息があるように思える。

人間は、手持ち無沙汰でブランとした自由よりも、何か目に見えない理想や希望とか愛に、あるいは神に手かせをはめられて、行動を共にし、時に行動を強いられるときもあろうが、その方がむしろ自由であり、生きがいがあり、幸せを感じているのではないか。

僕の好きな人に、伊能忠敬がいる。江戸期の末ごろ、千葉の佐原の人で生い立ちは甚だ不幸だった。幼少で母を亡くし、貧しい父から他家に養子に出された。富裕な商家で庄屋を兼ねる家の権高(けんだか)でわがままな娘の婿になり、使用人同様に働いた。

彼は向学心旺盛で、厳しい1日の労働の後、家族が寝た後、菜種油を灯して書物を読んだ。それさえもある時、妻にとがめられ、油がもったいないと止められた。妻が亡くなって庄屋の主になり、その家業を成功させて子どもに跡を継がせ、楽隠居になったときには、すでに50歳を過ぎていた。

それで自由になった彼は江戸へ出て、天文学、数学を学んだ。師の高橋至時(よしとき)に頼まれた日本地図作成の仕事を引き受け、残りの生涯のほとんどをかけて、自前の費用と労力でその事業をほぼ完成させた。

彼には一生涯、常に足かせが結ばれていた。それから解放された後、ブラリとした生活は送らず、自ら新しい足かせを結んだ。生涯、それを結び続けた。彼の生涯は誠に幸せだったと僕は思っている。

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臼井勲

臼井勲(うすい・いさお)

1942年、東京深川に生まれる。1957年、受洗。1964年、早稲田大学文学部西洋史科卒業。1996年、JTJ宣教神学校卒業。2007年、日本聖契キリスト教団伝道師となる。現在、新秋津聖契キリスト教会伝道師。酒匂聖契キリスト教会、平塚聖契キリスト教会で説教奉仕をしている。JTJ宣教神学校「イスラエル史」講師。「『物語り』から聖書を学ぼう」講師。「聖句書道教室」講師。平塚にてルデヤ理容館、店主。

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