神声人語―御言葉は異文化を超えて―(24)「エクレシア」「アガパオー」・・・原語の微妙な違い 浜島敏

2017年7月10日15時16分 コラムニスト : 浜島敏 印刷
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ある自称ギリシャ語学者が、形容詞 aionios(永遠の)は、名詞 aion(時代)に関係があるから、「ある一時代の」または、「ある一期間」との意味だけしかあり得ない、と主張したことがあります。が、ここでも同じように、2つの単語が似ているというだけで外国人が意味を決定することはできません。

意味はその言語を母語とする話し手が、単語をどのように使用するかによって決まるものです。ヨハネによる福音書3章16節において聖書が語っているのは、「ある一定の期間の命」ではなくて、「永遠の命」についてです。聖書の研究者は、原語の持つ意味を、かくあるべしと断定するのではなく、聖書の文脈と、聖書以外に広く用いられている資料から見つけ出さなければなりません。

この方法によってこそ、初めてギリシャ語の charis が「美」と「親切」と「恩寵」と「贈り物」と「感謝」の意味を表している事実を認めることができるのです。同様に、ヘブライ語の学徒も、 nbl(5)という語根が「しなびた」「衰弱し切った」「粉々になった」「ばかげた」「不敬な」「獣の死体」「人間の死体」および「偶像」を同時に意味していることが分かるのです。

※(5)「nbl」:ヘブライ語の正書法では、子音のみを書くのが一般的である。実際に読む場合には、母音を付け、付けた母音によって意味が変化することもある。この場合 nabel が「しなびる」という元の意味で、nibel が「軽蔑する」、nabal が「不敬な、愚かな」、nebelah が「死体」を表す。

外国語を学んでいると、たいていの人は、語源に心を動かされるものです。語源が正しいこともありますが、歴史的には必ずしも確かであると言い切れません。これはよくやる ekklesia(教会)というギリシャ語の扱い方で証明できます。

この語が文字通りには「呼び出された」を意味する2つの語根から出たものであることに間違いありません。多数の説教者がこの事実を利用して、都合のよい霊的拡大解釈をしました。ところが、新約聖書時代までに、この語はもはや「呼び出された」という意味を失っていたのです。

当時この単語は、「寄り合い」または「会衆」を表すものとしてだけに使われていたのです。ギリシャ都市国家では、たまたま市民の集まりが、都市から「呼び出され」、また農場から招集された参加者によって成立していたのです。この語の語源は残っていますが、その本当の意味は「集会」にすぎません。

そこで新約聖書時代のギリシャ語国民は、この語の「呼び出された」という語源的意味を、もはや理解できないようになっていたのです。これはあたかも英語国民が、今日 good-by(さようなら)に、God be with you(神があなたと共にいますように)の意を認められないのと同じです。good-by(6)は辞書で分かるように、後者の長い句から生じた言葉です。

※(6)「good-by」:God be with you. が変化してあいさつとして定着した。シェイクスピアには、これに似た形がある。また、別れのあいさつとして「神に託す」というのは、他の言語でも知られる。

だからといって、誤って解釈するのを恐れて、聖書をより完全に理解し、味わうために、辞典の知識を厳密に探ってみるという考えを捨て去ってしまうのは誤りです。これは特に避けなければなりません。

翻訳者の仕事は、原語をしっかりと調べることにより、計り知れない益を得るものです。実際、翻訳者は原語を絶えず参照しなければなりません。訳者とギリシャ語やヘブライ語の間に入り込む言語が多ければ多いほど、元の意味から遠ざかりがちになり、神の豊かな啓示を見失う結果になるからです。

ほんのわずかばかりのギリシャ語やヘブライ語の単語の例でも、懸命に宝物を探り当てようとしている人にのみ開かれる宝庫の一部分を次に示すことができます。

ギリシャ語には英語で、covenant(契約)、または agreement(協約)と訳されている2つの単語があります。それは diatheke と syntheke ですが、前者だけが新約聖書に出てきます。とすれば、聖書の記者たちが diatheke だけ使ったのは一体なぜでしょうか。

英語では分からない何か微妙な違いがあるに違いありません。そうです。いずれの語も「約束」または「契約」を示すために使うことができます。しかし diatheke は1人が単独で契約に着手して、諸条件を決定することであります。相手にできることといえば、それを受諾するか拒否するかだけです。

diatheke が「遺言」や「遺言書」の意味で使われるのは、このためです。というのは、財産を相続する人が、契約を前もって決定する人であり、またこの人がさまざまな条件や報酬を決める人だからです。syntheke を結ぶには、そこに議論と、譲歩と、妥協と、そして双方の最終的な駆け引きの余地が残されています。これに反して diatheke は、ただ契約の片方の側だけがその構成に責任を持っております。この違いこそ聖書の最も深遠な真理を示しています。

神に掛け合って値切るなどお門ちがいです。神は人類の最善を願っておられるのですから。キリスト教以外の宗教では、人間はしばしば、打算的な神や霊を頂いた如才ない商人と考えられています。人間は、神の不注意につけこんで小ざかしい知恵を働かせ、超自然界の恩恵を、特価品の値段で物にする腕を持つ者と見られています。

ところが、こんな風に、聖書の神と取引をする根拠はありません。契約を確立されたのは、神ご自身です。私たちは跡継ぎです。世継ぎの身分を拒んで、無軌道な生活で遺産を浪費することも勝手です。けれども、神の計画を値切ることはできません。また神の意図によって確立され、その独り子の死によって批准(ひじゅん)されたこの恩寵(おんちょう)の契約を、受諾することを拒否する小ざかしい人といえども、神の絶対権を侵害することはできません。神の子の約束は、血による新しい契約ディアセーケー(Ⅰコリント11:26)だったからです。

ギリシャ語でよく人に知られた同意語は agapao と phileo ですが、いずれも「愛する」と訳出されています。ところがこの両語は、すべての感情のうちで最も強力なものであるものの、ひどく異なった面を表しています。agapao は「神の愛」であり phileo はただ「人間の愛」である、と言われてきています。が、この区別は、両語の差異のほんの一部を明らかにしているにすぎませんし、この解釈自体が不正確です。

いずれの語も強烈な感情を伝えることもできるし、あるいは意味が比較的弱い、ということもあり得るのです。これらは愛の程度ではなくて、愛の種類を表しているのです。agapao は、私たちが愛の対象に価値を鋭く意識したときに生じてくる愛を表しており、一方 phileo は、長い間親しく交際して生じる感情的な愛着を表現しています。

こういうわけで、聖書がわれわれに phileo の意味で「愛せよ」と命じているところは見当たりません。夫と妻がお互いに愛し合うようにお教えになっているところすら、agapao が用いられています。というのは、ただ親しく交際することから生じる愛だけをお命じになることはあり得ないからです。

一方、聖徒は、他の人の真価をよく認めるように教えられております。そして、この意味にも agapao は用いられております。すべてのキリスト教徒が、お互いに感傷的な愛着(フィレオー)を持ち合わなければならないということはありません。それはおそらく不可能でしょう。というのは、私たちの親しい交友の範囲は、生活の仕方によって限定されているからです。

けれども、ほかの人の値打ちを認めよ(アガパオー)と命じられることは誰にでもあり得ることです。神が「そのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」(ヨハネ3:16)とき、神は予想されるように感傷的な愛情(フィレオー)で罪深い人類をあわれまれたわけではありません。神は人類を、恩寵の眼差しでご覧になっていたのです。人が罪深い反抗を、頑強に続けていたときでさえ、神は人のうちに、神の子としての価値を認めておられたのです。これこそアガパオーの示す贖罪愛(しょくざいあい)です。

本をただせば、ギリシャ語の1つの語の意味がもとで、理解に困る1節があります。「悪い実のなる良い木はないし、また良い実のなる悪い木もない」(ルカ6:43)を読むと、初めは当惑してしまいます。というのは、古く悪くなった多くの桃の木が、それでもまだ見事な実を結ぶかと思うと、見たところ立派な木がいとも貧弱な実を結んで、まだ木についているうちに傷んでしまうことさえかなりよく知られているからです。

だとすれば「悪い」(ギリシャ語 sapros、英語 corrupt は腐ったという意味)という語の意味はどういうことになるでしょうか。1つの手掛かりは、同じ語が大きな網の中に捕えられた魚の例え話(マタイ13:47、48)で使われているところに求められます。良い魚は容器に入れられましたが、悪い魚(ギリシャ語では同じ形容詞 sapros が使われています)は捨て去られました。もちろんこの網に腐った魚がかかったわけではありません。そうでなく、食用に適さない魚が入っていたのです。この sapros という語は食べられない魚の種類を言っているのです。

ところで、この語を木や果実に適用してみましょう。苗木のあるものは、見かけは立派であっても、食べられない実を結びます。これはその木の本来の性質ですから、たとえ願ったところで良い実を結ぶわけにはいきません。それに比べて、もともと食べるに適した良い実を結ぶ木は、苦くて食べられない実を結ぶことはできません。この苦い実は、芽つぎをしない果樹によく見られます。この sapros「悪い」という語を正しく解釈して初めて、この例えがまったく新しい意味を加えるというものです。

人間は、果実本来の性質を使い分けて、これを実らせます。外側の見かけは重要ではありません。もとになる性質だけが問題です。ですから、霊の実(ガラテヤ5:22参照)を結ぶために私たちは、神の霊を移植しなければなりません。私たちは性格を一新しなければなりません。イエスがニコデモにこの真理をお諭しになったように、私たちは新しく生まれなければならないのです(ヨハネ3:3)。

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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏

ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』

世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。

宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。

本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。

ユージン・ナイダ

浜島敏

浜島敏(はまじま・びん)

1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。

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