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栗栖ひろみの記事一覧

澤田美喜

混血児の母となって―澤田美喜の生涯(6)黒い皮膚と白い心

美喜はパリに滞在しているとき、ジョセフィン・ベーカーという黒人女優と親しくなった。彼女はすでに世界的に名の売れたスターであったが、少しも偉ぶらず、支配人にも俳優仲間にも、幕引きや雑役夫にも同じように親しみのこもった言葉をかけていた。

2017年05月10日7時06分

澤田美喜

混血児の母となって―澤田美喜の生涯(5)天国を見た日

1931(昭和6)年9月。澤田廉三はロンドン勤務になったので、美喜は子どもたちをつれて夫に従った。子どもはすでに4人になっており、次男久雄、三男晃の次に初めて女の子が生まれ、恵美子と名付けられた。

2017年04月27日10時13分

澤田美喜

混血児の母となって―澤田美喜の生涯(4)新しい門出

美喜はいつしか20歳の誕生日を迎えた。この頃になると、ひっきりなしに縁談が持ち込まれるようになるが、彼女は少しもその気がなく、あの手、この手を使って壊してしまった。

2017年04月13日19時43分

澤田美喜

混血児の母となって―澤田美喜の生涯(3)あなたの敵を愛しなさい

その頃、はしかと百日咳が全国に流行し、岩崎家の子どもたちもこれを免れることはできず、6人兄弟全部がかかってしまった。それで1人ずつ、少し良くなると大磯の別荘に送られ、養生することになった。

2017年03月29日18時03分

澤田美喜

混血児の母となって―澤田美喜の生涯(2)堀の内と外

美喜は、お茶の水東京女子高等師範学校付属の幼稚園に通っていて、やがて小学校へと進んだ。いつも彼女は1人の家政婦に付き添われて運転手に送り迎えしてもらっていたが、ある日、家に教科書を忘れてきたことが見つかり、教師に「家に取りに帰りなさい」と言われた。

2017年03月09日19時31分

澤田美喜

混血児の母となって―澤田美喜の生涯(1)男まさりの子

1901(明治34)年9月19日。東京本郷にある三菱初代社長岩崎弥太郎の長男久弥(ひさや)の屋敷は、喜びに包まれていた。長女が産声を上げたのである。今まで男の子ばかり授かってきたので、家の者の喜びはひとしおであった。

2017年02月16日11時18分

アルベルト・シュバイツァー博士

生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯(14・最終回)暗きを照らす光

1950年。新しいハンセン病患者の病棟が完成した。久しい間夢見ていたものだった。シュヴァイツァーは自分で工事の監督をし、自分の手で波形トタンを取り付けた。そして、ここではハンセン病絶滅のために最新の米国式諸方法が取られた。

2017年02月02日19時14分

アルベルト・シュバイツァー博士

生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯(13)世界をつなぐ友情の輪

1945年1月。シュヴァイツァーは70歳になった。すると世界はラジオ放送や彼の事業を支援するために作られた「ランバレネ財団」を通じてそのことを知った。

2017年01月20日10時57分

アルベルト・シュバイツァー博士

生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯(12)生き物は、全て兄弟である

1935年。シュヴァイツァーは、ランバレネに5度目の滞在をする。この頃には、黒人たちは皆、ドクトルや夫人、そして病院で働く医師や看護師たちの献身的な姿の中に「畏敬の念」を感じ取っていた。

2017年01月10日14時27分

牧師の小窓(33)福江等

生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯(11)人間が真に偉大になるとき

彼はヨーロッパに一度戻り、ヘレーネ夫人と娘レーナと共に束の間の憩いの中に過ごした。しかし、アメリカその他から講演の依頼があり、演奏のほうも続けなくてはならないので、長く留まることはできなかった。

2016年12月23日5時54分

牧師の小窓(33)福江等

生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯(10)新しい病院とエデンの園

1924年4月19日。シュヴァイツァーは、再びランバレネに到着。今回は、夫人が健康を害しているため、オックスフォード大学学生ノエル・ジルスピーが同行した。

2016年12月08日15時02分

牧師の小窓(33)福江等

生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯(9)戦争に引き裂かれて

1917年。ヨーロッパは戦争によって2つに分裂し、税の負担で窮乏生活に陥った友人たちは、シュヴァイツァーへの援助ができなくなったと知らせてきた。しかし、ランバレネでは相も変わらず病人、けが人が押し寄せ、増加する一方だった。

2016年11月29日17時00分

牧師の小窓(33)福江等

生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯(8)生命への畏敬

1914年8月5日。その日のうちにフランス地区司令官のもとから黒人兵がやって来て、「シュヴァイツァー夫妻はフランス領に住むドイツ国籍の者なので、捕虜として自宅に留まることは許可するが、黒人とも伝道所の白人とも連絡することを禁ずる」と宣言した。

2016年11月15日18時57分

牧師の小窓(33)福江等

生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯(7)ジャングルの病院

シュヴァイツァーは、病院のために見つけた場所が不適切であることを知り、もっと良い場所を探すためにカヌーで50キロ上流の別の伝道所まで来た。

2016年10月27日23時11分

牧師の小窓(33)福江等

生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯(6)オガンガがやって来た!

アフリカのコンゴ地方。オゴーウェ河がギネア湾に流れ込む所で、一艘(いっそう)の蒸気船が停泊していた。そして、シュヴァイツァー夫妻を乗せると、ゆっくり幅広い流れをさかのぼって行った。

2016年10月12日20時04分

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