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日野原重明さん召天 牧師の子として生まれ、母の命を救った医師との出会いで医学の道へ

2017年7月18日13時10分 記者 : 雜賀信行 印刷
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日野原重明さん(写真:聖路加国際大学提供)
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聖路加国際病院名誉院長の日野原重明(ひのはら・しげあき)さんが18日午前6時33分、呼吸不全で召天した。105歳だった。通夜は関係者で行い、告別式は病院葬としてキリスト教式により、今月29日午後1時から東京都の青山葬儀所で行われる。司式は聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂チャプレン団(聖公会)が執り行い、説教は同チャプレンのケビン・シーバー司祭の予定。

日野原さんは1911年、メソジスト教会の牧師、日野原善輔の次男(6人きょうだい)として山口市で生まれた。7歳の時、父親の赴任先である日本メソジスト神戸中央教会(現・日本基督教団神戸栄光教会)で洗礼を受ける。母親(満子)も日本メソジスト山口教会の信徒で、少年時代、母親の命をある医師が救ってくれたことから医学の道を志すようになり、37年、京都帝国大学医学部を卒業した。その後、いくつかの病院勤務を経て、41年、聖路加国際病院で内科医として働き始め、やがて同病院の院長や理事長、国際内科学会や国際健診学会の会長などを歴任した。

70年、福岡での学会に向かう途中、よど号ハイジャック事件に巻き込まれ、4日間、人質として拘束されたこともある。89年、キリスト教功労者(日本キリスト教文化協会主催)として顕彰され、2011年に日本福音功労賞(日本福音振興会)を受賞した。また、01年に出版した『生きかた上手』(ユーリーグ)がミリオンセラーとなったが、一般の出版社だけでなくキリスト教出版社からも多くの著書が刊行されている。

父の善輔は、数えの16歳の時、アメリカ南メソジスト監督教会の宣教師シメオン・ショーが来日して山口県で6年間伝道した最初の頃、1891年、日本メソジスト山口教会(現・日本基督教団山口信愛教会)で洗礼を受けた。同教会で今も使われている講壇は善輔が寄贈したものだ。神戸中央教会の牧師時代は当時西日本一といわれる教会堂建築に携わった。その後、英和女学校(現・広島女学院)の校長を務め、定年退職後は日本基督教団玉川平安教会(東京都世田谷区)の牧師などを務めた。日野原さんが所属していたのも同教会で、13年に亡くなった妻の静子さんもその教会で日曜学校の教師をしていて知り合った。2人の間には3人の息子がおり、3男は父と同じ医師の道を歩んでいる。

いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

私は今でもこの聖句が一番私の心の導きになっている。この聖句の意味は、歳と共に実ってゆき、私の老いを成熟させてくれているように思う。

(『私を変えた聖書の言葉』日本キリスト教団出版局)

※プロテスタントでは死去することを「召天」といい、神によって天に召されると考える。カトリックでは「帰天」、天に帰るという。ちなみに、「昇天」はキリストのみに使われる言葉で、十字架の死の後、復活したイエスは「天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり」(使徒信条)。

※メソジストとは、18世紀に英国のジョン・ウェスレーによって始められた教派。規則正しい信仰生活の方法(メソッド)に従う几帳面な人(メソジスト)と呼ばれたことから。教会学校を始めたのも、現在、礼拝で歌われている讃美歌を多く作ったのもメソジスト。その中から「きよめ派」と呼ばれる、信仰生活の聖潔を求める「ホーリネス」などの教会も生まれた。日本基督教団の中にもメソジスト系の教会が多く、青山学院と関西学院などはメソジスト系。現在もその流れにある教派は多数あり、「メソジスト」と付く教派(ちなみに、そこに「自由」「フリー」と付くのは、教会内差別からの自由を意味する)、救世軍、日本ナザレン教団、イムマヌエル綜合伝道団、日本ホーリネス教団、日本イエス・キリスト教団など。

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