聖書の中の気になる人物―イシュマエル(1)声なき声を聞かれる神 臼井勲

2017年5月13日18時18分 コラムニスト : 臼井勲 印刷
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創世記の講解説教を永く続けてきた。創世記の中に登場する人物は、それぞれ個性豊かで尽きない興味を抱かせる。中でも、イシュマエルという人は特に僕の心に何事かを訴え掛けるものを持っている。

ただ単にこの人物の生涯を考えるだけでなく、聖書の中で彼が占める役割、あるいは長いキリスト教史の中に、彼が占める問題点。これは僕の生涯の研究課題になるであろうと思う。

JTJ宣教神学校で学びながら、母教会の平塚聖契教会で、月1回の説教奉仕をさせていただいていた頃、15年ほど前になるが、このイシュマエルが出てくる創世記21章に来たとき、イシュマエルについて聖書の注解や講解、説教集などを調べていて、このイシュマエルに対する何とも言えない冷淡さを感じた。

ある方は、まったく無視した形を取っていたし、ある方は、タブーを恐れるかのようにおっかなびっくりの態度が感じられた。「いったい、これは何だ!」という思いを持った。僕は説教を準備するとき、とにかく原典である聖書を、まっさらな頭で先入観や、他の人、それが高名な学者や説教者であっても、その神学や説教を脇に置いて、今、神が自分に語られている手紙を読むように、あるいは、初めて新聞の記事を読むように聖書を読もうと心掛けてきた。そうすると、今まで見えなかったものが見えてくることがある。

そのように創世記の16~17章、21~22章を読んでみると、イシュマエルとイサクに関する記事が、ほぼ等しい長さ、分量で書かれているのに気付いた。何でもない発見のようであるが、なかなか重大な意味がある。聖書を読んでいると、重要な記事は長く、内容豊かに描かれ、そうでない記事は簡単に数行で記されている。

イシュマエルもイサクも共にアブラハムの子どもである。そして聖書は、昔は羊皮紙(パーチメント)の巻物に書かれた。その巻物を開くと、特に21~22章でイシュマエル、イサクに関する記事は、21章22~34節に唐突に出てくる、アブラハムがアビメレクからベエル・シェバの井戸を買うという物語の記事をちょうど扇の要のようにして、左右にほぼ均等に振り分けられているのである。

声なき声を聞かれる神

創世記16章には、ハガルの物語が語られている。アブラハムの正妻サラはテント越しに立ち聞きして、夫と自分の高齢の故と、生理的にも不可能であることを思って、不信仰の笑いをもらす、それは神の約束と聖なる計画を「嗤(わら)う」行為であった。

そして、神の約束を待てなかったサラは、当時としては当たり前で常識的であり、合法的であった方法で、自分の子を得ようと策をめぐらす。それは、自分に仕える若いエジプト人奴隷ハガルによって子を得るという方法であった。つまり、自然生殖によらず、法的に母になるという手段であった。一時的な公認の夫の浮気という不快を忍べば、自分は母になれると思い込んだ。

これは、神の約束を待つ「まず神の国と神の義を求める」ものではなく、己の知恵を第一にするものであり、神が定めた人倫の法にも適(かな)わないものだった。サラにとって、ハガルは人格的な存在ではなく、いわば産む機械にすぎず、単なる使い捨ての道具であった。

その道具、マシンにすぎないと思った者に、妊娠したとたん、自分が見下されるという屈辱を味わった。誇り高いサラは我慢がならず、ハガルをいじめぬいて逃げ出さざるを得なくした。ハガルは生まれ故郷エジプトに向かうが、主なる神は荒野の井戸の傍らでハガルに会い、やがて生まれる子を祝福し、イシュマエルと名付けよと主ご自身命名され、その子孫の祝福を約束された。

主ご自身が命名された例は、イサク、サムエル、ヨハネとイエスの他にはないほど希少であり、それだけ重大な名前であることを私たちは心する必要があるのではないか。そして、主はハガルに、主人のもとに戻るよう促された。

彼女は主なる神の言葉に従い、理不尽な女主人のもとに帰った。神はこの理不尽なアブラハムとサラよりも奴隷のハガルと胎内の子イシュマエルに、多大の同情を向けておられることが感じられる。そして、イシュマエルは生まれ、アブラハムの長子として育つのである。

イシュマエルが15歳になったとき、主の約束の通り、サラに待望の息子イサクが生まれる。イサクの2歳の祝いが盛大に催されたとき、イシュマエルがイサクをからかっている姿をサラは目撃する。人間は自分が日頃思っている幻想や恐れを事件として投影するものだ。ただの兄弟同士のふざけ合いをいじめと取る。

《写真は正直だ》などと言われるが、自分もよく写真を撮る者として、作為によりどのようにも撮ることもでき、撮った人のコメントが付けば、その映像が世界を動かすことだってある。「2人以上の証言がなければ証拠として取り上げられない」と、別に聖書は言っている。サラの故意の証言は、夫アブラハムを言いくるめ、ハガルとイシュマエルをついに追放することに同意させた。

「雌鳥勧めて雄鳥時を作る」である。これが初めから神の計画のように大手を振って行われることに人間のあさましさ、罪深さがある。これは神の計画ではない、自分らが蒔(ま)いた結果である。「もう用が済んだからいらない、ポイ」のようにハガル、イシュマエル母子はわずかの水と食料を持たされ、荒野に遺棄された。2人は激しく祈り、神の許しと保障を得て出発した。

イシュマエルの心身症

イシュマエルはこの時16歳、体力は大人と同じ、しかし、この荒野では母ハガルより彼が参っていた。ハガルは息子の死を見るに忍びず、絶望の中に泣いた。なぜ母より体力がある少年イシュマエルが参ったのか。昨日までアブラハムの長男として皆に傅(かしず)かれ、尊厳を持って過ごしてきた。一夜にして野良犬のように放逐された。心と魂の痛みが体に現れた。

もう最後!その時、神の声がハガルに響く、「神は少年の声なき声、叫びを聞かれた」。「父よ、なぜ私を捨てられたのですか!」、十字架上の神の子イエスの叫びと同じ叫びを。さらに神は「(あそこにいる)少年の声を聞かれた」。

神は「イシュマエル、イシュマエル」と2度呼ばれた。聖書の中で2度個人名を繰り返すことは、最も重要な神の関心事に限られる。主は「アブラハム、アブラハム」、また「モーセ、モーセ」と、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。われに返った母ハガルは、自分のそばに泉があるのを発見した。そして、母と子は助けられた。

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臼井勲

臼井勲(うすい・いさお)

1942年、東京深川に生まれる。1957年、受洗。1964年、早稲田大学文学部西洋史科卒業。1996年、JTJ宣教神学校卒業。2007年、日本聖契キリスト教団伝道師となる。現在、新秋津聖契キリスト教会伝道師。酒匂聖契キリスト教会、平塚聖契キリスト教会で説教奉仕をしている。JTJ宣教神学校「イスラエル史」講師。「『物語り』から聖書を学ぼう」講師。「聖句書道教室」講師。平塚にてルデヤ理容館、店主。

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