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神声人語―御言葉は異文化を超えて―(11)奇妙な発音、奇天烈な文法、おまけに気まぐれな語句④ 浜島敏

2017年1月7日21時47分 コラムニスト : 浜島敏 印刷
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英語のいわゆる品詞――名詞、動詞、前置詞、形容詞など――に相当する語類が、他の言語に見当らないことになると、翻訳上の問題も深刻です。preached the baptism of repentance unto the remission of sins「罪の赦(ゆる)しを得させる悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていた」(逐語訳では「罪の赦しへの悔い改めのバプテスマ」、マルコ1:4)のような句が、翻訳困難であるのは、多くの言語においては「バプテスマ」「悔い改め」「赦し」は名詞ではなく、動詞であるからです。

というのも、いずれも行為を示すもので、見たり、触れたりできる対象を表していないからです。これらの単語は動詞として主語を取り、また、動詞の持っている文法上の役目を果たします。それでは、これらの単語の意味を結びつけて動詞表現にするには、一体どうしたらよいのでしょう。

「悔い改めのバプテスマ」という句でさえ極めて複雑です。正確にはどういう意味なのでしょう。「悔い改め」に所属する「バプテスマ」ではないことは確かです。むしろ「悔い改め」によって性格づけられる「バプテスマ」なのです。こういうわけで、悔い改めはバプテスマに先行しなければなりません。

「赦し」と「罪」との関係についていえば、「罪」は「赦し」という行為の対象であると言えましょう。あるいは、受身動詞の「赦される」を使いたければ、「罪」が主語になります。そこで、全体の表現は「人はおのれの罪が赦されるために、悔い改めて、バプテスマを受けなければならない、と宣べ伝えた」と記されます。

こんなふうな翻訳の方が普通の英訳より人によっては明確で一層正確であると思われるでしょう。ところが、翻訳者はただ表現の変化を求めたり、新奇を狙って動詞を名詞の代わりに使うことはいたしません。問題になっている言語の文法上の「規則」がこれを要求するときに、初めて、このような変更をするのです。

翻訳は、一言語の文法上の伝統的な法則(それが教科書に方式化されているにせよ、口から口に伝えられた慣用の伝承にせよ)に従わなければなりません。しかし、どのような場合にも、翻訳がその効果を上げるためには、人々が話す通りを表現しなければならないのです。

よその土地の言語について、あまり是非の判断をするのは考えものです。というのは、英語にだって同じように、変則で、筋の通らない現象が見られるからです。スーダンのシルク人が very good(非常に良い)という意味を good bad(良い悪い──良いともなんとも)と言うと、彼らが全く物の判断に欠けるところがあるように思えましょう。

ところが、英語の terribly good(おそろしく良い)という使い方も同じようにおかしいのです。一体「おそろしい」と同時に「良い」ものがあるでしょうか。また、Why, he isn't just bad,――he's good'n bad(いや、あいつ悪いも何も、全然悪いね)という時のgood and bad(非常に悪い)を考えてみてください。ここでは good and が「非常に」という意味になるではありませんか。普通の意味に使うときは、私たちは声に特別の抑揚をつけ、また good という語に余分の強勢をおきます。

それにしても、英語のこの用法はシルク人の good bad 表現と比べて非論理的ということにかけては同列です。実際には、私たちの慣用句の多くには論理的なものなど、そんなにありません。誰かが「いかれて」いるとき、英語で bees in his bonnet(直訳──帽子の中の蜂)とか、bats in the belfry(鐘楼の中のこうもり)などという奇妙な慣用句を使っているのですから、論理が聞いてあきれるでしょう。

中央アフリカのバントゥー諸語のあるものに、fleas(ノミ)の単数形がないのを変だと思う必要はありません、──英語で oats(からす麦)はいつも複数でなければならないのですから。それにまたアフリカでただ1匹でいる「ノミ」を見かけた人はいないでしょう。ですから、実際面を考えても、このアフリカ人たちの方が、役者が一枚上ではないでしょうか。

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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏

ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』

世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。

宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。

本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。

ユージン・ナイダ

浜島敏

浜島敏(はまじま・びん)

1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。

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