2019年12月5日20時06分

パウロとフィレモンとオネシモ(5)「善い行い」―フィレモン書の集中構造分析から― 臼田宣弘

コラムニスト : 臼田宣弘

拙コラム「コヘレト書を読む(9)」でお伝えさせていただきましたが、聖書は旧約聖書も新約聖書も「集中構造」という修辞法で書かれているテキストがとても多いのです。フィレモン書も、この修辞法でパウロによって書かれていると思われます。

集中構造といいますのは、文章が、ABC〔D〕C´B´A´というように、ある部分を中核にして対称の形になっているものです。この場合、AとA´は同じキーワードの対(時に正反対ワードでの対)になります。詳細は上記「コヘレト書を読む(9)」をお読みいただければと思いますが、集中構造で書かれている聖書テキストの構造分析をすることによって、そのテキストから大きくは以下の2つのことが見えてくると思います。

1)集中構造では、中核が一つの話の中心になっている。だから中核を見つけ出せれば、その話において何が一番中心的なことであるかが分かる。

2)対称箇所に共通することが書かれているので、読んでいて分からないところがあれば、対称箇所を見ることによって、そこからヒントを得ることができる。

集中構造分析は、分析者によってその分析にばらつきが出ます。また、執筆者本人が明確な区分けをしていない場合もあると思います。そのことをお断りした上で、あくまでも、「私の集中構造分析」と限定をさせていただきまして、フィレモン書の集中構造分析をしてみたいと思います。

あいさつ文と祝祷 A 1~3節 A´ 23~25節
祈り B 4節~5節 B´ 22節
善い行い C 6節 C´ 21節
牧会 D 7節 D´ 20節
フィレモンへの愛 E 8~9節 E´ 19節b
オネシモの過去と今 F 10~11節 F´ 18~19節a
オネシモの送り帰しと迎え入れ G 12節 G´ 17節
パウロの元からフィレモンの元へ H 13~14節a H´ 15~16節
善いことが自発的になされる I 14節b(中核部)

A「あいさつ文と祝祷」
1 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、2 姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

B「祈り」
4 わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。5 というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。

C「善い行い」
6 わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。

D「牧会」
7 兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。

E「フィレモンへの愛」
8 それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、9 むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。

F「オネシモの過去と今」
10 監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。11 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。

G「オネシモの送り帰しと迎え入れ」
12 わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。

H「パウロの元からフィレモンの元へ」
13 本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、14a あなたの承諾なしには何もしたくありません。

I「善い行いが自発的になされる」(中核部)
14b それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。

H´「パウロの元からフィレモンの元へ」
15 恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。16 その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。

G´「オネシモの送り帰しと迎え入れ」
17 だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。

F´「オネシモの過去と今」
18 彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。19a わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。

E´「フィレモンへの愛」
19b あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。

D´「牧会」
20 そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。

C´「善い行い」
21 あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう。

B´「祈り」
22 ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます。あなたがたの祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。

A´「あいさつ文と祝祷」
23 キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。24 わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。25 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。

以上が、あくまでも私の手によるフィレモン書の集中構造分析です。この中に、集中構造から見えてくることの2)として挙げた「対称箇所に共通することが書かれている」ということを見るとすれば、例えば、本コラムの第2回と第3回でお伝えさせていただいた、巡回型宣教者エパフラスとアルキポが、AとA´に対称に置かれていることなどは大変興味深いことです。私は本コラムのうち、フィレモン書をお伝えするにあたっては、この集中構造分析を用いたいと考えています。

さて今回は、「善い行い」というキーワードを抽出することができる「CとC´」に書かれていることについて述べたいと思います。

C 6 わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。(6節)

C´ 21 あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう。(21節)

6節には、「善いこと(アガソス / ἀγαθός)」という言葉がありますが、21節の「わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう」も、「善いこと」の内容であろうかと思われます。パウロの言う「善いこと」とは、イエス・キリストの十字架と共に死に、復活によって義とされた者の歩みのことです。パウロはここではあくまでも、イエス・キリストへの信仰を規範とした歩みをフィレモンに願っているのです。

今回はフィレモン書からこのことだけをお伝えさせていただきますが、この「善いこと(アガソス / ἀγαθός)」は、フィレモン書の子の書簡であるコロサイ書、孫の書簡であるエフェソ書でも展開されています。それが何を意味するかということは後々お伝えさせていただきます。

私たちを「善い行い」へと導くためにこの世に来られたイエス・キリストの御降誕(クリスマス)は間もなくです。アドベントのこの時、そのような思いを持って歩ませていただきましょう。(続く)

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臼田宣弘

臼田宣弘

(うすだ・のぶひろ)

1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。