1999年1月23日未明、インド・オディシャ州マノハルプール村で、暴徒らにより、宣教師グラハム・ステインズと2人の幼い息子は、ジープごと焼き殺された。焼け跡から発見された遺体は、父が幼い2人の子を左右の腕でしっかりと抱きしめた姿のままであった。(第1回から読む)
事件当日の朝、キャンプに同行していなかった妻のグラディスと娘のエスターは、バリパダの自宅で悲報を受け取った。2人は言葉を失い、深い苦悶(くもん)に打ちひしがれた。34年間インドのために心血を注いできた夫と、未来ある2人の息子。その命が、憎悪に満ちた炎によって一度に奪われてしまったのだ。残された母娘にとっては、生きたまま手足をもぎり取られる方が、はるかにやさしく思える悲しみだ。
悲報を受けた直後、母グラディスは、娘のエスターに震える涙声で呼びかけた。「私たちだけが残されちゃったわね……でも……私たち……赦(ゆる)すわよね?」「ええ……ママ……そうしましょう……」。エスターの声も涙に震えていた。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」(ルカ23:34)。十字架の上の激しい痛みの中で、キリストが発したこの言葉。そして御子を十字架につけなければならなかった御父の激しい痛みとその愛。母娘はその時、その愛と痛みを鮮烈に追体験しながら犯人への「赦し」を選んだのである。互いを抱きしめ合い、声を上げて泣き崩れた母娘の慟哭(どうこく)が、この日の早朝の静かなバリパダの町に、いつまでも響いていたことは言うまでもない。
後にグラディスは回想している。「あの時の娘の答えが、私の癒やしの始まりでした」。怒りや恨みを一切口にせず、まだ13歳の子どもに過ぎないエスターも、苦しみながら「赦しの決断」をした。この娘の信仰に励まされ、むしろ母親のグラディスの心が支えられ、彼女も神の導きを確信したのである。そしてステインズ夫人は2日後、後々人々に記憶される「あの言葉」を語ったのだ。
3人の葬儀は、1月25日、バリパダで執り行われた。数千人の参列者と世界中のメディアが見守る中、マイクの前に立ったステインズ夫人の表情には、深い悲しみこそあれ、憎しみはなかった。彼女は静かに、しかし明確な意思をもって語り始めた。
「私は、夫と息子たちを殺した人たちを既に赦しました。私の心の中に、憎しみや恨みはありません。赦しはむしろ、私に癒やしをもたらしました。私たちの地には、憎しみと暴力からの癒やしが必要なのです」
その言葉は、復讐の連鎖を予感して張り詰めていたインドの空気を一変させた。殺した者の残虐さと、殺された者の遺族が示した圧倒的な愛。そのあまりの対比に、社会全体が沈黙せざるを得なかった。
「復讐の火」が燃え広がることが懸念されていたその時、バリパダの小さな家の母娘の決断は、静かに、しかし力強く燃える十字架の福音のともしびで、憎悪の暗闇を照らし始めていたのである。(続く)
■ インドの宗教人口
ヒンズー 74・3%
プロテスタント 3・6%
カトリック 1・6%
英国教会 0・2%
イスラム 14・3%
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