
未信者のころ。クリスマスは、特ににぎやかになる繁華街。それでもビルの間から見上げる夜空の奥からは、銀色の静寂がしんしんと降っていた。それはどこまでも清らかな、小さな光の粒だった。聖夜のきらめきが肩に降り積もるようだった。
信者となった今、夜ごとに聖なる夜を与えられている。神様の臨在の中、静けさは銀色の結晶となって小さなデスクを照らし出す。心は満たされ、イエス様の十字架のもとに赦(ゆる)され、愛され、安んじる。
粗雑に宿を追い出され、イエス様は、うまやでお生まれになられた。そして天の万軍は、社会的にみじめさを背負っていた羊飼いたちに現れて、空が割れんほどの響きで救い主のご降誕を告げ知らせた。主を礼拝した羊飼いたちは、どれほどの希望と喜びを胸にしたことだろうか。
星も主のご降誕を示すようにきらめいて、博士たちは主を礼拝するために旅を続けた。
聖夜には、静かな結晶が降りしきる。それは神様の招きでもあり、世界中の聖徒たちの祈りでもあるかもしれない。主は貧しき者、救い主を待ち望む者、義の砕け散ったような地平において痛む者たちのために、お生まれになった。
不完全で破れだらけの義しか持てない私たちの罪深さを、十字架でお赦しになられた。それは神様からの全力の愛の提示であり、招きであった。
クリスマスが近づいている。教会はクリスマス礼拝のために大忙し。聖夜を教会で過ごしてみたいと、未信者の人たちも何かを求めて大勢教会に訪れる。
私は、毎年クリスマスは義父母を夕食に招き、食卓を整える。夫が聖書の話をし、祈りと賛美をして義母の信仰を力づけ、義父に神様を知ってほしいと願うのだ。
私は猫を飼っているが、動物たちの純粋さにいつも心が癒やされている。イエス様は私たちを鳩や羊、または百合などの動物や植物に例えられる。イエス様は動物や植物をどれほどに大切に思ってくださるお方であろうか。
動物というのは、人間よりも気配や気持ちに敏感な部分がある。うまやの動物たちもイエス様と共にあって、どれほど心落ち着いたことであろう。うまやの中はどれほどに清らかな光と温かな愛で満たされたことであろう。
クリスマスが近づいている。神様を知らない人たちも、この日には特別な光を感じる人も多いことであろう。にぎやかな街にあっても息をのむ沈黙、静けさのある夜に、神様のきよらかさが迫るのだ。
(絵・文 星野ひかり)
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