わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネの福音書10章11節)
「良い牧者」とは、イエスご自身のことです。「良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」と言われたのは、ご自身が十字架にかかり、人間を救うことを指しています。
イエスの死は決して無駄なことではなく、イエスが私たちの罪の身代わりに死ぬことにより、信仰者は罪を赦(ゆる)され、永遠の命を得たのです。他の宗教との大きな違いは、イエス・キリストが言葉だけでなく、自ら行動でその愛を示されたことにあります。
「良い牧者」とは、①羊を狼などの危険から命を懸けて守ります。旧約聖書のダビデも羊飼いで、熊やライオンと戦い、羊を守りました。イエスも、私たちを救うために十字架にかかり、命を捨ててくださいました。
②良い牧者は、羊を呼んで導きます。羊も主人である牧者の声を聞き分けてついていきます。羊の命は、羊飼いの能力と誠実さにかかっています。イエスは私たち一人一人を完全に知っておられます。父なる神がイエスを知り、イエスが父なる神を知っているのと同じです。
③主は、イスラエルの民でない他の羊(異邦人だが霊的にはイスラエルの民)も、最終的に一つの群れとして一人の牧者(イエス)のもとに集めます。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。(ヨハネの福音書10章14節)
雇い人は羊の所有者でないので、狼が来ると、自分の身を守るために羊を置き去りにして逃げてしまいます。それは、羊を大切にしていないからです。
イエスは当時の律法学者やパリサイ人たちを、民衆を利用して私腹を肥やす「盗人」と批判しています。彼らは神の民であるイスラエルを養うべき牧者でありながら、羊たちを散らし、顧みなかったのです。
それとは違い、イエスは自分の羊たちのために命を捨て、十字架の死により羊たちの罪の贖(あがな)いを完成されました。
人は弱い羊のような存在です。良い牧者の導きにより、守られる必要があります。イエスは、私たちに豊かな命を与えるために天から来られ、私たちを愛し、命を捨てて救いを完成してくださいました。
まことの羊飼いであるイエスに感謝します。
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