
紀元311年。ディオクレティアヌスのあとを継いで東ローマ皇帝となったガレリウスが死ぬと、代わりの皇帝がなかなか決まらず、帝位は空席のままになっていた。そこで、西ローマ皇帝のリキニウスが東西併せて支配することになり、コンスタンティヌスは副帝となって彼を補佐することになった。
こうした政権交代の中にあって、かつてはその権力により、四方の国々を恐れさせていたディオクレティアヌスも、ローマ市民から忘れ去られ、たまに嘲笑を交えてうわさされるだけであった。
「あの恐ろしい皇帝も、今じゃスプリトの別荘に引きこもり、何でも聞くところによれば、重い病気になっているとか」「このローマでは、昔権力を持っていても、失脚すれば忘れ去られるだけさ」。彼らは口々にこう話し合うのだった。
年が明けて紀元312年のある夏のこと。ニコラスは、アペレと共に「教会が与えられて、また伝道ができますように」とひたすら祈っていた。そして、夕方近くなったので、ひとたび祈りを中断し、休息をとることにした。
この時、不思議なことが起きたのである。いつの間にか、彼は浅い眠りの中に引き込まれていった。気が付くと、彼の体は遠くへ運ばれてゆき、ローマ市内を流れるティベル川のほとりに流れ着いた。
すぐ前には、忘れ得ぬ友人コンスタンティヌスが立っていた。アレクサンドリアの図書館で初めて会ったときには、まだ少年のような面影が感じられたが、年月がたつうちに、彼は濃いひげをたくわえた頑丈な体つきの軍人になっていた。
「お別れを言いたくてあなたを呼んだのです。もしかすると、明日死ぬかもしれないから」。そして彼は、頑丈な手を差し伸べた。
「いよいよ明日、戦場に出てあの強敵マクセンティウスを相手に戦わなくてはならない。どんな卑怯なことも平気でする恐ろしい相手です。だから私は、絶対に勝てるという自信がない。軍人は戦場に出るのが役目とはいえ、つらい人生ですね」
そして、彼は悲しそうに微笑した。ニコラスは胸を打たれ、思わず友の手を握り返した。「大丈夫ですよ、コンスタンティヌス。正しい心を持って、信念のために戦うなら、神様はあなたの味方です」
すると、コンスタンティヌスは、両手で彼の手を包み込むようにして懇願した。
「こうやってあなたに会いに来たのも、頼みがあってのことなのです。あなたが信じているキリスト教の神様は、ローマ人やギリシャ人の信仰する神よりも力があることが分かってきました。それだから、どうかその神様に祈ってくれませんか」
そして、彼はその茶色の目にあふれるような信頼を込めて、ニコラスを見つめた。
「これは決して負けることのできない戦いであり、このコンスタンティヌスの生涯の望みと信念をかけた決戦なのです。いつかあなたに自分はクリスチャンたちに負い目があると言ったでしょう。この戦いに勝利すれば、その償いができる。私は権力の座に就いたなら、今まで心の中で温めてきた信念を法令化し、幾世代にもわたって万人のものとしたいのです」
「よく分かりました。コンスタンティヌス――私の友よ。あなたのために祈りましょう。あなたには野心がなく、正しい心を持って、信念のために戦うのですから、どうか味方してくださいとイエス様にお願いをしますから」
そして彼は、その場にひざまずき、友のために祈った。その時である。天から声が響いた。「これにて勝て!」ニコラスは、はっと目を覚ました。
ちょうど同じ頃、ローマ郊外の戦場に張られた兵営の中で、一人のローマ軍人が苦しそうに寝返りを打ちながら、何やらつぶやいていた。
「頼む。どうか勝たせてください。決して負けることができない戦いなのです」。それは、戦いを明日に控えた西ローマの副帝コンスタンティヌスであった。彼が迎え討つ宿敵マクセンティウスは、蛇のように狡猾で残忍な男だった。
どんな敵とも渡り合って勝利してきたコンスタンティヌスも、彼のすさまじい嫉妬と憎悪を前にしてはたじろがずにいられなかったのである。
「おお、そうだ。あの人に頼もう。あの人の祈りなら、神は聞いてくださるだろうから」。そしてコンスタンティヌスは、昔アレクサンドリアで友情を誓った人――今はミラの司教として信頼を集めているニコラスに必死で呼びかけたのであった。
*
<あとがき>
ニコラスと親友の契りを結んだコンスタンティヌスは、今や東西併せて支配するローマ皇帝リキニウスの副官となっていました。実はかねてから彼は、歴代のローマ皇帝によるキリスト教徒の迫害に対して胸を痛めており、それを自分たちの負い目のように感じていました。
それで、キリスト教を世界宗教として公認するためには権力者の承認が必要なので、自分が何としてもローマ皇帝の座に登り詰めなくてはならないと考えていました。こんな時、以前からコンスタンティヌスに反感を持つマクセンティウスという将校が兵を募り、戦争を仕掛けてきたのです。
しかしコンスタンティヌスは、この男の狡猾で残忍な策略を前にしては、ほとんど勝ち目がないことを知っていました。その時、彼は、今はミラの司教となっているニコラスに、何とかこの戦いが勝利に導かれるよう、神に祈ってほしいと懇願するのでした。再び、不思議な夢の中での出会いが始まります。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイで中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。