まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。(ヨハネの福音書12章24、25節)
主イエスのこの言葉は、直接的にはご自分の十字架のことを指しています。しかし、私たちにとっては2つの意味があると思います。1つは、反対する勢力の凶弾に倒れ、非業の死を遂げるときです。もう1つは、自分の信じる使命のために一生をささげ、命果てていく生き方です。
米国の保守派活動家であるチャーリー・カーク氏は、とても熱心なクリスチャンでした。ユタ州の大学で遊説中に銃撃を受け、死亡したことは、福音派教会の人々だけでなく、世界中のクリスチャンにとって大きな衝撃でした。
彼は18歳の時に大学を中退し、若者向けの保守団体「ターニング・ポイントUSA」(TPUSA)を設立しますが、会員が25万人を超えるまでに成長します。とにかく学生の話に耳を傾け、心をつかんでいったといわれます。次の次の大統領候補といわれるほどの人望がありました。だからこそ、左派勢力にとっての脅威と見なされ、31歳という若さで命を狙われました。
妻のエリカ氏は、夫以上に保守的であり、信仰深いといわれ、カーク氏亡き後、満場一致で後任のTPUSA代表に選出されました。追悼式での「犯人を赦(ゆる)します」というスピーチに心を打たれました。
保守派の動きを封じ込めようとして、反対派は暗殺という暴挙に出ましたが、逆に、保守派の結束は強まったのではないかと思います。トランプ大統領とイーロン・マスク氏は政策的な対立があり、仲違いしていましたが、追悼式で出会い、握手してよりを戻したといわれます。この和解は、トランプ政権にとってプラスとなる出来事です。
インドのガンジーは、社会解放の運動中に、米国のキング牧師は、黒人差別を訴える演説中に暗殺されましたが、彼らの運動は下火になるどころか、さらに広がり、大きな成果を生み出しています。まさしく、一粒の麦が地に落ちて死に、豊かな実を結んだ典型です。
私たちは、一粒の麦のメッセージを思い起こすときに、目前の試練も恐れずに、前に進むことができるのではないかと思います。
今、日本では、静かなる怖い出来事が進行しています。それは、教会の縮小という問題です。クリスチャン人口が毎年、右肩下がりに減少を続けています。このままの状態を放置すれば、やがて日本の社会から教会が消滅するのではないかという物騒なことを言う人もいます。
日本の教会の礼拝出席者数は、平均で30人だといわれますが、地方都市では10人前後という所も少なくありません。また、日本全国で教会の数は、8千といわれていますが、無牧の教会は1200カ所ともいわれます。また、一人の牧師が複数の教会を兼牧しているケースも珍しくありません。伝道者を志す若者が少なく、絶対数が足りないのです。10人の信徒では、教会の維持も困難ではないでしょうか。
日本で求められているのは、チャーリー・カーク氏のように、若者に耳を傾け、その心をつかむことのできるクリスチャンリーダーだと思います。カーク氏は、暗殺される数週間前に、日本に来ていたみたいです。もっともっと日本の若者に影響を与えてほしかったのですが、このような事態になり、とても残念です。
一粒の麦が地に落ちて豊かな実を結ぶためには、その土地の素地が整えられていることが必要です。私が初めてイスラエルのある地域の畑を見たとき、とても驚いた記憶があります。畑の中に石がゴロゴロしているのです。
この石を取り除かなくてもいいのですかと農夫に尋ねると、「取り除いても無駄ですよ。掘っても掘っても石が出てきますから」という答えでした。ところが、そこで収穫されたものは、日本のものよりもはるかに大きいサイズなのです。しかも食べると、ものすごくおいしいのです。とても良い土壌で、気候環境も合っているのではないかと思います。
これはまさしく、主イエスが語られた種蒔(ま)きの例えそのままだと思いました。種が蒔かれたとき、土の薄い岩地に落ちた種は、芽が出ても枯れてしまいます。しかし、良い地に落ちた種は芽生え、育って、実を結び、30倍、60倍、100倍になったとあります(マルコの福音書4章2〜9節参照)。
日本という土壌には、石がゴロゴロあり、伝道の妨害もあるかもしれません。しかし、先駆者たちが歴史を通して耕してきた良い土壌もあるのです。本気でこの地に骨を埋める覚悟で腰を据え、地道に一生をささげる伝道者がいるならば、必ずや豊かに実を結ぶ時が来ます。
義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。(ヤコブの手紙3章18節)
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