
ちょうどゴールデンウィークの頃、ゆっくりと統合失調症は再発し、妄想と幻覚の中で過ごしていた。
入院が検討されたが、何とか自宅で、寛解まで過ごすことができた。毎日のように看護師さんが来てくださり、何も語らず黙しているばかりの私に対して、ただ体をマッサージし、毎日の様子を確認してくださった。
最低限の掃除はできたが、料理はほぼできず、お総菜などを買って済ましていたため、冷蔵庫の中は悪くなったものであふれかえり、後始末が大変であった。夫はそんな中もしっかりと仕事に行き、通院の日には有休をとって、診察を嫌がって帰った日も、忍耐強くそばにいてくれた。
どんなに私の病状が悪くなろうと、会話もできなかろうと、夫は伴走してくれた。結婚式で誓い合った言葉が思い返される。「病めるときも、健やかなるときも・・・」夫婦の絆、誓いとは重いものである。夫がぽつりと「俺、寂しいよ」と口にした日もあった。
少しずつ料理を作り始め、たまったほこりを掃除し、浴室のカビをこすり落とし、いつの間にか荒れ果ててしまった庭の雑草を引き抜いて、また新たな花を植え始めた。義父母は「暑い日が続いているのだから、急に頑張らないように」と心配をしてくれた。
しばらくして選挙があった。急いでパソコンを開き、政党や立候補者の方たちの主張を調べ、何とか投票できた。社会不安と不満が募っている。私の中にもしかりである。
今夜も駅まで夫を迎えに車を走らせた。夕焼けがきれいであった。しかし同じ空の下で、貧困や迫害、爆撃や空襲におびえている人たちがいる。人の罪の風呂敷が広げられたような世にあって、平和とは夢のようにはかない。
無力感や徒労感が胸に広がる。いつかあれほど確かに思えていた信仰も、闘病の際には揺らぎ、消えかけ、今はわらにすがるように聖書を開き、しがみついている。
心の真ん中にぽっかりと空いた穴は、傷み続ける。その穴の痛みを埋めるように、ばかげた妄想は優しくもあった。私は、本当にみじめな者であった。そして、傷んだ者であった。
同じように、心に痛みを抱えた人たちが、この空の下で、今日も一生懸命生きているのだ。起き上がれず、負けながら、負けながら、それでも時に立ち上がり、痛みに体中をきしませながら、何とか今日も生きているのだ。この空の下には、そんな人たちもたくさんいる。
信仰も、鳥が翼を折られたように、ぽきっと折られてしまった。しかしまた御言葉を読み、御言葉を信じ、弱さばかりであった信仰を再び建て上げてみせよう。どんな病の痛みにも負けぬ信仰を今度こそ、今度こそ持ってみたい。
信仰、希望、愛、最も大切なのは愛である。神は愛であられ、愛は在るのである、と。愛なき世に心枯れ果てながらも、再び愛を、神を信じてみたい。
この惨めな者に与えられし御救いは、十字架にのみにあらん。
悪はわたしにからみつき、数えきれません。
わたしは自分の罪に捕えられ
何も見えなくなりました。
その数は髪の毛よりも多く
わたしは心挫けています。
主よ、走り寄ってわたしを救ってください。
主よ、急いでわたしを助けてください。(詩編40:13、14、新共同訳)
(絵・文 星野ひかり)
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星野ひかり(ほしの・ひかり)
千葉県在住。2013年、友人の導きで信仰を持つ。2018年4月1日イースターにバプテスマを受け、バプテスト教会に通っている。
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