2025年7月9日20時41分

サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(23)難破船の奇跡

コラムニスト : 栗栖ひろみ

サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(1)孤児ニコラス
聖ニコラスの肖像画(画:ヤロスラフ・チェルマーク)

紀元298年の秋。地中海方面からアレクサンドリアを経由する一隻の帆船があった。その船には船長を含む8人の船員が乗っており、次の港ミラを目指していた。船長のテキコはしきりにニコラスの話をして言うのだった。

「俺はあのニコラスという司教を10年も前から知っているんだぜ」。皆、目を丸くした。

「その頃は、俺も雇われたばかりの船乗りで、あの人も若造だった。ちょうどアポロという伝道者が乗り合わせていて、あの人はいろいろと質問をしていたよ。そうするとな、アポロ先生はこんな話をした。神様は人間一人一人を愛していなさって、この地上に人となって降りて来られた。そうして十字架にかかって死なれ、全ての人の罪を帳消しにされたんだと。何だか俺は胸がいっぱいになっちまって、その場で洗礼を受けたのさ。その日、あのニコラスという人も、自分はアレクサンドリアの神学校に行くんだという志を話してくれたっけ。それが、今じゃミラの司教様だ」

「そんなことがあったのか」。「それにしても、あの司教を巡ってはいろいろ不思議なことがあるそうだよ。だから最近じゃ、船乗りたちは必ずニコラスの名にかけて航海の安全を祈ると言われている」

「じゃ、俺たちも、この船旅が安全であるように祈ろうじゃないか」。彼らは早速一つとなってニコラスの名にかけて船旅の安全を祈るのだった。

ところが、ミラの海岸が見えるあたりまで来たときだった。急に天候が変わり、突然暴風雨が襲ってきた。木の葉のように揺れる船の中で、船員たちは恐慌をきたし、われ知らず声をそろえて叫んだ。「ニコラス司教様! 助けてください! 船が沈みます!」

するとこの時。いつの間にか見知らぬ男が船に乗り込んできて、声をかけた。「大丈夫。私はここにいますよ」

彼らは、それがてっきりニコラスと思い込んだ。見知らぬ男は、綱を引いたり、帆をたたんだりして動き回ったので、彼らもバケツで水を汲み出したり、左右に片寄った船荷を均等になるよう直したりした。

そのうちに、ようやく荒れ狂っていた暴風雨も収まり、気が付いたときには、男の姿も消えていた。

船乗りの一行はミラの海岸に着くと、早速教会を訪れ、ニコラス司教に礼を述べた。しかしニコラスは、テキコと再会したことは喜んだが、自分が彼らを助けたのではなく、彼らの信仰が船を事故から救ったのだと言い、一同を祝福するのだった。

船乗りたちが帰ったあと、ニコラスは祭壇の前にひれ伏して叫んだ。「ああ、神様! あなたは何という不思議な御業をなさるのでしょう!」

実に不思議な奇跡だった。昨晩、突然暴風雨が吹き荒れたので、ニコラスが、船旅をする者が災難に遭うことがありませんようにと祈りをささげていると、その耳に細い声が伝わってきたのである。

「ニコラス司教様! 助けてください! 船が沈みます!」そこで彼は、頭を床にすりつけて、彼らのために祈った。

「憐(あわ)れみ深い神様! 今私の兄弟である船乗りたちが沈みゆく船と戦っています。助けて行きたくても、私はこの通り太っていて泳げないし、船をこぐすべも知りません。どうか彼らをお助けください」

その時である。彼の体の奥底から力が湧き上がってきたので、彼は手を伸ばした。すると、その体が持ち上げられたかと思うと、海の上を漂っていくのを感じた。そして、その目に沈んでいこうとする船と、その中で必死に助けを求める船員たちの姿が見えたのである。

そして気が付くと、彼はいつの間にか船の甲板に立っていた。「大丈夫。私はここにいますよ」。そう声をかけると、船乗りたちは喜びの声を上げ、その力をよみがえらせた。

ニコラスは熟練した船乗りのように帆をたたんだり、綱を引いたりして動き回った。すると彼らもバケツで水を汲み出したり、荷の向きを直したりしたが、そのうち暴風雨がすっかり収まったのである。

気が付くと、幻は消え、ニコラスは一人、祭壇の前にひれ伏していたのだった。

この話は、驚くほどの早さで船乗りたちの間に広まってゆき、「難破船の奇跡」として広く語り継がれるようになったのである。

*

<あとがき>

ニコラスを巡る奇跡物語に、もう一つ「難破船の奇跡」というものがあります。

アレクサンドリアからミラを目指して、8人の船員の乗る船がやって来ましたが、船員の一人のテキコは、昔ニコラスがアレクサンドリアの「キリスト教大学」に行く折に、同じ船に乗り合わせていたので、彼が不思議な力を持っていることを知っていました。

さて、この船がミラの港に近づいたとき、突然嵐が襲いかかり、船は難破しかけました。全員でニコラスの名を呼んだとき、奇跡が起こります。眠っていたニコラスの耳に、救助を求める声が響いたかと思うと、彼の体は持ち上げられ、いつの間にか難破しかけた船上に運ばれたのです。

船員たちがニコラスの顔を見て安心した途端に嵐はやみ、船は無事ミラの港に入りました。翌朝、目を覚ましたニコラスの前に船員たち全員が姿を見せ、皆で神を賛美したのでした。

この奇跡の物語は、今なお船乗りたちの間で語り継がれているということです。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。