2025年6月11日20時20分

サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(21)アデオダートスと再会する

コラムニスト : 栗栖ひろみ

サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(1)孤児ニコラス
聖ニコラスの肖像画(画:ヤロスラフ・チェルマーク)

その翌年の紀元296年。またしても前年を上回るほどの大きな飢餓が押し寄せた。ニコラスは相変わらず助祭のシメオン、長老のユスト、そしてアペレと共に死者の埋葬という務めと病人の介護に追われていた。

これでは小麦を分けてもらうために出かけることもままならず、ニコラスはひたすら祈るだけであった。そのうちに、餓死する者の数がさらに増えてきたのを見、再びニコラスは托鉢(たくはつ)に出ることを決意した。

「さあ、アペレ。奇跡を信じて行ってみましょう」。そして、空の升の入った袋を肩に担ぐと、歩き出した。

大富豪キロスが以前住んでいた屋敷には、別の家族が住んでいた。「ミラの教会の者ですが、貧しい人々に配る小麦がなくなりました。もし、わずかでも分けていただけるとありがたいのですが」。そう声をかけると、「少々お待ちください」と、召使いらしい人がそう言って、すぐに主人を呼びに行った。

「ニコラス司教様ですか? ご苦労様です。前のキロスさんとその家族の方々からお話は伺っていますよ。息子さんの命を助けなさったとか」

その家の主人は、手をこすりながら言った。「おい、倉庫に行って、余った小麦を持ってきなさい」。そして、小麦がたくさん詰まった袋をニコラスに渡して言った。「さ、ニコラス司教様。持っていってください。心ばかりのささげものです」

「あなたとご家族の上に、神様のお恵みがありますように」。ニコラスはその家の家族のために祈ってから、その家を出た。不思議なことに、次の家もそのまた次の家も、ニコラスの顔を見ると、好意的な態度で小麦を分けてくれ、ねぎらいの言葉を口にするのだった。ニコラスは、この奇跡のあとに、さらなる奇跡が起こりつつあることを予感したのだった。

市場を抜けて町の中心部の大通りに出ると、四つ角にパン屋があった。その店の女主人がでっぷりと太った体を揺するようにしながら、店の前を掃除しているのが見えた。

近寄って、ニコラスが小麦を少しだけ分けてほしいと言うと、彼女はとても悲しそうな顔をした。「うちも今、小麦が足りなくてね。お客様に出すパンも、この通り出せずにいるんですよ」

それを聞くと、ニコラスは背負っていた袋を下ろした。中には4、5軒の家で分けてもらった小麦が入っていた。「何か入れ物を持ってきてください」。そう言って、彼女が持ってきた器に、升で5、6杯ほど測って入れた。

「まあ、ニコラス司教様」。女主人の目は涙でいっぱいになった。「あなたは神様みたいな方でいらっしゃいます。実はわたくし、主人が亡くなってから、女手でパン屋をやっているんでございますよ。でも3年前に、それはもうひどい主人から虐待され、逃げてきた男の子を引き取ったんでございます。かわいそうに、その子は死にかけておりました。でも必死で介護するうちに元気になって、ポツリポツリと話をするようになったのです。いい子なんで、店で働いてくれればいつでもおなかいっぱい食べていいし、いつまでもここにいていいんだよと言ってやりました。そしてつい最近、私はこの子が実の子のように思えてきたので、養子にすることにして、籍を入れてやりましたの」

その時、住居と店を隔てていた仕切り戸が開いて、13歳くらいの少年が顔を出した。その顔を見た瞬間、思わずニコラスは、あっと声を上げた。それは、忘れもしないパタラで父親のために奴隷に売られたあのアデオダートスだったではないか。

「ニコラス様ですね」。少年はじっと彼を見つめて言った。それより早く、ニコラスは両手を広げて相手を抱きしめた。何という不思議な運命の巡り合わせだろう。

「まあ、ニコラス様はこの子のことをご存じなんですか?」パン屋の女主人は目を丸くして尋ねた。「パタラで別れて以来、ずっと捜し求めていたのです」。ニコラスは答えた。

それから、震える手で相手の髪をなでてささやいた。「つらい日々をよく頑張って、耐えてきたね」。「神様のお恵みと、皆さんの温かい助けの手がありましたから」。アデオダートスはつぶやくように答えた。

ニコラスは、ミラの教会とは近いのでまた会いに来る約束をして、店を後にしたのだった。

*

<あとがき>

ルキア地方に到来した二度目の飢餓は、かつてないほど過酷なもので、教会は病人の介護や死者の埋葬に追われ、小麦の配給もままならないありさまでした。それでもニコラスは、奇跡を信じてアペレと共に托鉢に出かけます。

そんな彼らに、神様は大きな奇跡を見せてくださいました。回心してクリスチャンとなり、家族と共に別の町に引っ越した大富豪キロスの屋敷に行くと、そこに住む住人はニコラスたちにたくさんの小麦を分けてくれた上、温かいねぎらいの言葉をかけてくれたのです。それだけでなく、行く所、行く所、人々は協力を惜しまず、二人は背負い切れないほどの小麦を分けてもらえたのでした。

感謝するニコラスの前に、さらに大きな奇跡が待っていました。大通りの四つ角のパン屋を訪ねたとき、そこで片時も忘れることのできなかったあのパタラの不幸な少年――困窮した父親のために奴隷に売られたアデオダートスと再会することができたのです。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。