2022年5月11日11時40分

ルカ福音書を読む(6)「わたしの父の家」―神殿の少年イエス様― 臼田宣弘

インタビュアー : 臼田宣弘

今回はルカ福音書2章39~52節を読みましょう。

39 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。40 幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

41 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。42 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。43 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。44 イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、45 見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。46 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。47 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。48 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」 49 すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 50 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。 51 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。52 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

前回、イエス様の両親がみどりごイエス様と、律法に定められた行事のためにエルサレムの神殿に行ったことをお伝えしましたが、それらのことをすべて終えた3人は、100キロ以上離れた自分たち町であるガリラヤのナザレに戻りました。イエス様はそこで成長していったのです。

イスラエルの人たちは、毎年春の過越祭には、エルサレムの神殿に行く習慣があります。自分たちの先祖が、かつてエジプトで奴隷状態にあったところを、神様によって導き出されたことを記念する礼拝に参加するためです。イエス様の家族も毎年、ガリラヤからエルサレムの神殿に行っていたようです。

そんな状況における、12歳の時のイエス様の姿を伝えているのが、今回のお話しです。新約聖書の中で、公生涯前のイエス様の言動を伝えている唯一の記事です。

ところで、聖書の中で12歳という年齢が持つ意味について、少し考えてみましょう。旧約聖書のサムエル記上3章に、少年サムエルのお話があります。サムエルが神殿で寝ていた夜、神様がサムエルを呼ばれたのです。サムエルは、祭司エリに呼ばれたのだと思い、エリの所に行きます。しかしエリは、「わたしは呼んでいない」とサムエルを戻します。

そんなことが3度も続いたので、エリは神様がサムエルを呼んだのだと悟り、「もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております』と言いなさい」とサムエルに告げます。実際に神様がまたサムエルを呼んだので、彼は「どうぞお話ください。僕は聞いております」と答えます。そして神様は、サムエルに託宣を行いました。

ルカ福音書を読む(6)「わたしの父の家」―神殿の少年イエス様― 臼田宣弘
ジョシュア・レイノルズ「幼きサムエル」(仏ファーブル美術館所蔵)

少年サムエルのお話は、旧約聖書だけでなく、ユダヤ人歴史家フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』の中にもあります。それによるならば、これはサムエルが12歳の時に起こった出来事でした。13歳を成人とするユダヤでは成人前夜のことであり、サムエルにとっては、預言者になるための通過儀礼的な出来事であったと思われます。

私は、創世記22章のアブラハムによるイサク奉献の記事におけるイサクや、同27章のイサクの祝福の記事におけるヤコブのお話も、やはり通過儀礼的なものであったのだろうと考えています。聖書には、それぞれの当時の年齢は記されていませんが、私はサムエルの召命と同じ12歳ごろの出来事であったのだろうとみています。

聖書における12歳とは、このように「成人前夜」を意味する年齢だと私は考えています。12歳になったイエス様も、いわばそういう年齢であったのです。この年も、イエス様は両親と共にエルサレムに行きました。しかしそれまでの年と違っていたのは、両親が帰路の集団に入ったのに対し、イエス様はエルサレムの神殿に残っておられたということです。

両親は1日たってからイエス様がいないことに気付き、エルサレムに引き返します。そして、神殿で学者たちの中に座り、話を聞いたり質問したりしておられたイエス様を探し出したのです。聞いている人たちは、イエス様の賢さに驚いていました。

ルカ福音書を読む(6)「わたしの父の家」―神殿の少年イエス様― 臼田宣弘
ハインリヒ・ホフマン「神殿のキリスト」(独ハンブルク美術館所蔵)

母親マリアはイエス様を叱責します。しかしイエス様は、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」とお答えになったのです。神殿を「自分の父の家」と呼んだのです。イエス様のこのお答えは、今回のお話のクライマックスです。

私はこれを、イエス様がなさった「神の子としての顕現」であるとする捉え方はふさわしいと考えています。12歳という成人前夜に、自分が神の子であるということを顕(あら)わされたのです。しかしこの時、イエス様の両親であるヨセフとマリアは、まだその意味が分からなかったようです。

大切なのは、この次の記述だと思います。「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった」とあります。ご自身が神であることを顕わされた後も、仕える歩みをされたのです。ここに、「人の子は仕えられるためでなく仕えるために(中略)来たのである」(マルコ10:45)と言われたイエス様の言葉の真髄を見るような気がします。

母マリアはそれらのことをすべて心に納めていました。前回お伝えした、シメオンの「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」という預言の言葉を聞く彼女に通ずるものがあるように思えます。そして、ヨハネ福音書によるならば、イエス様が公生涯に入られた最初に、カナの婚礼において「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」(2:4)とイエス様が言われた直後に、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言っています。私はこの発言を、マリアのメシア告白だと考えています。

つまり、イエス様の幼児期、少年期を通して「この人は誰なのか」と逡巡していた母マリアが、やがて一つの信仰告白をするようになったことを、新約聖書全体で伝えているのではないかと考えているのです。さらに、使徒言行録1章12~14節によるならば、イエス様の復活と昇天の後、教会のスタートの輪の中に彼女がいることになるのです。

マリアという一人の女性の変遷の軌跡も、聖書から興味深く読まされることだと思います。(続く)

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臼田宣弘

臼田宣弘

(うすだ・のぶひろ)

1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。