2016年6月23日17時56分

世界自転車旅行記(20)キューバ・その1 木下滋雄

コラムニスト : 木下滋雄

今回は先日走ってきたばかりのキューバ。

キューバというと、米国と仲が悪く、僕が生まれる少し前の1962年には、米ソが核戦争寸前までいったキューバ危機があった。59年にキューバ革命があり、その後ソ連と急速に接近して米国と対立するようになっていったのだが、時代は変わり、昨年国交は回復。先日オバマ大統領もキューバを訪問した。

米国の資本が入れば、これからどんどん変わっていくだろう。行ってきた人は皆よかったと言っている。1950年代のアメ車が走るような古き良き時代が残るこの国を体験するなら今のうちだろうと行くことにし、妻も同行した。

世界自転車旅行記(20)キューバ・その1 木下滋雄
世界自転車旅行記(20)キューバ・その1 木下滋雄

時期は冬の方が乾期で暑くなくてよいのだが、休みやすいのでゴールデンウィークを使うこととした。冬に走った人の話でも昼間は暑いということなので、この時期の暑さはどのくらいかが気になる。また、雨期にも入っていくので虫除けも用意した。

国交が回復したとはいえ、まだ米国から飛行機は飛んでいない。キューバの首都ハバナの空港へは、カナダのトロントを経由して夜9時すぎに着いたが、荷物が出てきたのは1時間ほどしてからだ。

空港の銀行には長蛇の列ができていて、宿の人が立て替えてくれるというので街で両替することにした。混んでいるからどうにかしようなどというサービス精神なるものは、この国には多分ないのだろう。

宿に着いたのは11時すぎだが、ラテンの国は夜遅くまで起きている。空港ではどのくらい待つかという感じだったが、ATMであっさり引き出すことができ、夕食を食べることができた。

翌日は日曜日。早起きして日の出を見に行くと、ミュージシャンだという人に話し掛けられ、路上ライブをするというので行ってみた。音楽はあちこちにあふれ、陽気な人たちだなと思う。

礼拝はカトリックの教会へ。言葉はほぼ全て分からないが、終わるまで参加した。

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途上国には珍しくコーヒーはおいしい
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お昼を食べたお店で
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洗車中
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世界自転車旅行記(20)キューバ・その1 木下滋雄
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路上ライブ

午後は国内線でサンティアゴ・デ・クーバという千キロ離れた島の東の町に飛び、走ってここへ戻ってくる予定だ。東から走るのは、貿易風が東から吹いていて追い風になるからだ。

ところが、荷造りに手間取り、空港に着くのが遅くなった。国内線なので大丈夫と思っていたが、荷物は出発1時間前に締め切ったし、自転車を積むスペースはもうないからと搭乗を拒否された。

飛行機は中型のエアバス320だから、スペースがないということはないだろう。十分時間もあるし、頼み込んだが、全くの無駄。サービス精神がないというのを思い知った。

目的地までバスでは丸1日かかる。日本でチケットを買った方に連絡がつき、2日後の便に変えてくださった。感謝。ハバナは帰りに見物しようと思ったが、翌日1日見て回ることにした。旅ではトラブルも楽しまなければ。

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サンティアゴ・デ・キューバの教会
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ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのコンパイ・セグンド氏のお墓
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公園でダンスの練習

メールで新たなチケットを送ってもらうことになったが、この国は意図的にインターネットを制限してきたため、ネット環境というのが普通では無い。メールは宿では受け取れず、大きなホテルへ行って受け取ることができた。WiFiカードなるものを買えば、大きな町の電波があるところへ行ってネットはできるそうだが、そこまでしてやらなくてもいい。2週間くらいアナログの世界に戻ってみよう。

ハバナの街は世界遺産に登録されている。砦を見に行くためには入り江を越えなくてはいけないが、海底トンネルはバイクや自転車で走れない。専用のバスがあるというので、それに乗ろうと乗り場に行くと、バイクが1台待っていた。バスはいつ来るか尋ねると知らない、そのうち来るよという感じ。この国は時間がゆっくり流れているようだ。

古い車の走る旧市街は絵になる。普通の観光客になって歩き、この街に住んでいたヘミングウェイがひいきにしていたという店に行った。カウンターの端には彼の銅像があり、お気に入りだったというダイキリを飲んだ。

この日の宿の主人は、最近宿泊業を始めたそうだ。この国では、医療費も教育費も大学を出るまで全て無料だが、公務員(社会主義なので基本的には公務員しかいない)の月収は日本円で3千円ちょっと。

彼はCAをしていたというが、当然国営なので給料もその程度。どうしたら3千円でやっていけるのか。価格体系はどうなっているのだろう。彼は何年間かかけて宿泊業の準備をしたのだという。

その日の宿代は4千円弱。月収より高いということだ。レストランも2人でそれくらい。通貨は外国人用と2種類あって、外国人価格は高い。目立った産業はないので、観光に力を入れようとしているようだ。

ちなみにこの国はとても治安が良く、夜暗い道を歩いても心配ない。社会主義の統制がしっかりして、そこには良い面が出ているのだろう。

世界自転車旅行記(20)キューバ・その1 木下滋雄
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夜の街

翌朝早く宿の主人のタクシーで空港へ。今度は早すぎるくらいに行ったが、手続きは遅々としている。早く行かなければいけないわけだ。

飛行機に乗って驚いたのは、搭乗券には座席が指定してあるが、半分以上が自由席だということだ。小型機ならともかく、150人乗れるA320なのに。

サンティアゴ・デ・クーバに着陸すると拍手喝采(笑)。ハバナよりずっと暑いといわれていたが、確かに暑い。炎天下で自転車を組み立てるだけで疲れてしまう。

ここでも入り江の入り口にある世界遺産の砦を見てから街へ。あまり寝ていなかったので、眠くて夕方部屋で寝ていたが、なんとなく賛美歌のような歌が聞こえてきた。夜外へ出て隣の窓をのぞくと、中はプロテスタントの教会だった。この国では唯一出会ったプロテスタントの教会に行けなかったのは残念だった。

初日は130キロ先のバヤモという町まで走る。キューバはほぼ平坦な土地であるが、ここにだけ山脈があり、まず最初に峠越えがある。道路は片側3車線の高速道路だが、人も馬車も普通に走り、車は少ない。路面も所々荒い舗装だったり、穴が開いていたりもする。

登りの勾配は緩く、標高も300メートルほどしかなく、その後は平原が続く。高速道路は昼前で終わり。島の半分くらいしかできていないが、いずれはハバナまでつながる予定だ。

普通の道路は大型車がすれ違うだけの幅しかないが、交通量は少なく、すれ違う車がいるときは、無理に追い越そうとしないで自転車の後ろについて待っていてくれるので安心だ。

道路沿いに町はそう多くはない。昼には少し早いが、寄った町ではちょうど食堂が開くところだった。食事自体はこうした田舎の普通の人が行く店は安いが、あまり種類はない。飲み物も水はないことが多いが、ビールはどこにでもあるので、水の代わりにビールをよく飲んだ。

水は大きな町でボトルの水を何本か買うということにしていたが、炎天下を走っているのだから、冷えたものがやはりいい。途上国では冷蔵庫が無く、あっても電気代がかかるからと使っていないところもあるが、ここではそんなことはなかった。

午後になると、ほぼ真上に太陽が来るのでとにかく暑い。いいのは風があること、日陰は涼しく日本の夏のように蒸し暑くないことだ。大きな木や屋根のあるバス停が日陰になる。

世界自転車旅行記(20)キューバ・その1 木下滋雄
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スローガンはあちこちに
世界自転車旅行記(20)キューバ・その1 木下滋雄

暗くなって街に着き、ガイドブックの宿の一つを訪ねる。宿はいわゆる民宿である。今回は全て大小さまざまな民宿に泊まった。家の一室が余ったから宿をやっているようなところから、こぎれいなホテルのようなところまで。

テラスや中庭にはオーナーの趣向が表れていた。そして、どの宿の主人もとてもいい人ばかりで、気持ちよく旅することができた。

街の真ん中に必ずある広場では、ダンスのレッスンをしていた。誰かが演奏したり、CDで音楽を流したりすれば、皆が踊り出すような雰囲気がこの国にはある。

昼は暑いので、食堂で食事をした後、椅子に座ったまま1時間くらい寝ていた。起きて店を出ると、店のおばさんがドアを閉めた。僕らが出て行くのをじっと待っていたようだ。閉めるから出てくださいと言わないところがありがたかった。

旅をしていると、いやな人に出会うこともあるが、ここではそういうことがなかったと思う。キューバはなかなかいい所だ。後半は次回に。

世界自転車旅行記(20)キューバ・その1 木下滋雄
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ハバナの夕日

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木下滋雄

木下滋雄

(きのした・しげお)

1964年横浜生まれ。フォト・サイクリスト。高校時代に自転車旅行と写真を開始し、30歳で五大陸走破を達成。これまでに60カ国延べ6万3千キロを走破している。現在はパラグライダーも楽しむ。ぺトラ建築設計一級建築士事務所主宰。