2018年9月29日10時01分

なにゆえキリストの道なのか(162)そんな「救い」なら、あまり欲しくない? 正木弥

コラムニスト : 正木弥

「救われた」後の人生にも、事故・事件・病気・苦しみが絶えない。うっかり罪も犯す。そんな「救い」なら、あまり欲しいとは思わない。

キリストによる救いを次のように考えてください。

人が今の世でキリストを信じたときは、その時点ですぐに罪が赦(ゆる)され、神の子とされます。しかし、肉体のからだはこの世にあり、普通の人と同じように、事故・事件・病気・苦しみなどの災難、不幸に遭います。

また、おっしゃるように、さまざまな誘惑にもさらされていますから、ついうっかり罪を犯してしまうこともあるでしょう。これは、この段階の「救い」がいわば「半分の救い」であるからです。つまり、原理的な救い、抽象的な救いです。資格として「神の子」である状態です。

例えていえば、米国のニューヨークへ移住するのに、飛行機の切符とかパスポートとかも必要ですし、ビザ(入国査証)が不可欠です。キリストを信じて「救われた」ということは、これらを保持したということです。そのほかの事情が整えばいつでも行ける状態、基本的に準備のできた状態であるといえます。

準備のできた人(信徒)もいずれ肉体の死を迎えますが、その時は、まずパラダイス(楽園)へ行き、そこで他の信徒が来るのを待ち合わせるようです。そして、秋(とき)が来れば一緒に復活にあずかり、天国に迎え入れられ、永遠のいのちを与えられます。

その時「完全な救い」が実現します。既に原理として示されていることが具体化し、イザヤ25:6~9、黙示録21:3、4、22:1~5で詩情的・抽象的に示された救いが具体化し、死もない、苦しみもない、喜びと楽しさに満ちた完全な救い=具体的救いとなるのです。ぜひ、その準備としてキリストを信じておきましょう!

なにゆえキリストの道なのか(162)そんな「救い」なら、あまり欲しくない? 正木弥

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正木弥

正木弥

(まさき・や)

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

【正木弥著書】
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)
『創造論と進化論 〜 覚え書 〜 古い地球説から』
『なにゆえキリストの道なのか』

【正木弥動画】
おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』特設ページ