2018年1月16日16時31分

ナッシュビルからの愛に触れられて(14)仙台での復興支援コンサート・その2 青木保憲

コラムニスト : 青木保憲

ナッシュビルからの愛に触れられて(14)仙台での復興支援コンサート・その2 青木保憲
仙台の「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」に出演するクライストチャーチクワイア

仙台といえば、音楽通にはたまらない都市であると言われている。プロ並みのスキルを持つアマチュア・ミュージシャンが多く、その中からプロデビューする者も少なくない。筆者の青春時代を彩ってくれた HOUND DOG も仙台出身である。

そんな仙台の音楽シーンで、おそらくもっとも有名なイベントの1つが「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」である。ジャズというカテゴリーにとどまらず、あらゆるジャンルの音楽が野外に設営された舞台で一斉に奏でられるこのイベントは、1991年以来、毎年行われている。この時は仙台市内のさまざまな場所が「会場」と化し、警察による交通整理が行われたり、地元の商店街が露店を出して、雰囲気を盛り上げる。

この仙台最大のイベントにクライストチャーチは出演することになっていた。しかもメインホールでの演奏であった。実はこのフェスティバル、毎年70万人を超える集客となっている。

筆者は夏に事前調査として仙台を訪れ、地元のNHKラジオに出演し、クライストチャーチのことを宣伝していた。その際に「夜まで彼らが残れたら、NHKラジオの生放送でフィナーレゲストとしてステージを用意できますよ」と打診されていた。数万人が集まるステージを、主催者側が用意くださったのだった。

しかし、どうしても私たちは土曜日中に京都へ帰らなければならなかった。そのため、このありがたい申し出を断らざるを得なかった。

2011年9月10日、この日の仙台はとても暑く、残暑というのにふさわしい天候であった。天下の(?)NHKを袖にしたにもかかわらず、主催者側は粋な計らいを申し出てくれた。それは、地元の仙台テレビで朝のニュース時間帯に生歌を披露するという企画であった。

クライストチャーチの牧師、オースティン・ケイグル牧師がインタビューを受け、それを私が通訳するという企画であった。実は、私にとってこれは生涯初の公式な通訳体験であり、あまりの緊張のため、本番前に意識が2度も遠のいていったことを覚えている。決してこれは暑さだけのせいではない。彼らを連れてきた責任感と、拙い英語力との間で、私は大いに葛藤していたのである。

しかし、司会のアナウンサーがそのあたりをうまくフォローしてくださり、何とかこなすことができた。

生放送前に面白いことがあった。テレビ局がインタビュー用のマイクを用意していたのは当たり前だが、キーボードを持ち込むことを忘れていた。それが発覚したのは本番わずか20分前!慌てて私たちはバスに戻り、88鍵のキーボードを手で運ばなければならなくなった。その時、いの一番に動いたのは、なんとピアニストのクリストファー氏だったのだ。本来はゲストとして何もしなくてもいいはず。いや、むしろ本番のために心を整えていたらいいはずである。しかし、彼は私と共にキーボードを運び、汗を流し、そして笑いながらこう言った。

「私たちは確かにミュージシャンだが、同時に仕えるためにやってきたワーカーなんだ。だからこういったときに動くのは当たり前さ」

その言葉に私は感動した。彼らを被災地に連れて来られたことを、心から神に感謝した。彼らがナッシュビルで共演しているのは、テイラー・スイフトであったり、マイケル・W・スミスであったり、今は亡きホイットニー・ヒューストンであったりする。それほどの腕前を持ちつつも、彼らは常に一クリスチャンとして、仕える心、日本のためにささげる心を抱いている。必要とあらば、ステージから降りて、傷ついている方の隣に寄り添うことができる人たちなのである。

クリストファー氏の奮闘によって、キーボードは無事にセットアップされた。ラインやチャンネルはテレビ局側が用意してくれたので、本番の5分前にはすべてが整った状態になることができた。実際の生放送の様子はこちらの動画。

インタビューを終えた私たちは、バスに乗り込み、そのまま本会場へと向かった。夕方のフィナーレには出演できないが、午前の部のラストで30分ほどのステージが用意されていた。公演前にもかかわらず、多くの方がすでに集まり始めていた。

そしていよいよ本会場で、クライストチャーチの歌声が響き渡るときとなった。会場は、午前中にもかかわらず、多くの方が詰め掛け、野外ステージは昨晩の仙台市駅前のゲリラライブと同じように活況となりつつあった。

大きな拍手とともに、来られていた方々が涙を流していたことがとても印象深かった。震災からまだ半年。市内はその傷跡がほぼ消えていたが、一歩市外へ出てみると、まだまだ積み上げられた車やがれきが私たちの視界を遮っている。

そのような中で奏でられた楽曲は、なじみのあるアメージング・グレイスから、彼らが日本の震災復興を願って日本語を織り交ぜながら作った「ヒーリング・ハズ・ビガン(主の癒やしが今)」まで、多彩であった。

ナッシュビルからの愛に触れられて(14)仙台での復興支援コンサート・その2 青木保憲

「ヒーリング・ハズ・ビガン」は、2011年当時CCMとして米国ではやっていた楽曲である。この版権を持っているブレンウッドベンソン社がクライストチャーチとよい関係にあったため、この曲を特別にクワイア形式にアレンジして、東日本大震災の復興支援のために用いることを許可してくれたのである。お聴きになりたい方はこちら。

多くの感動と熱い涙を与えてくれたクライストチャーチクワイアは、その後、金沢、大阪、京都でも同じような復興支援コンサートを行い、そして9月15日にナッシュビルへ帰っていった。

しかし、これで2011年の彼らとの関わりが終わったわけではない。次は、こちらから学生たちを連れてナッシュビルへ、わずか4日後に渡米することになっていたのである!

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青木保憲

青木保憲

(あおき・やすのり)

1968年愛知県生まれ。愛知教育大学大学院卒業後、小学校教員を経て牧師を志し、アンデレ宣教神学院へ進む。その後、京都大学教育学研究科修了(修士)、同志社大学大学院神学研究科修了(神学博士)。グレース宣教会牧師、同志社大学嘱託講師。東日本大震災の復興を願って来日するナッシュビルのクライストチャーチ・クワイアと交流を深める。映画と教会での説教をこよなく愛する。聖書と「スターウォーズ」が座右の銘。一男二女の父。著書に『アメリカ福音派の歴史』(明石書店、12年)、『読むだけでわかるキリスト教の歴史』(イーグレープ、21年)。