2017年10月16日07時17分

神声人語―御言葉は異文化を超えて―(31)聖なる書にとらえられて 浜島敏

コラムニスト : 浜島敏

聖なる書にとらえられて

神聖ローマ帝国のカール5世は、数人の聖職者や役人からなる諮問委員と共に、1人の手に負えない修道士の異端陳述に応じるため座っていました。その修道士の火のような説教こそ、教会と国家に反抗する数千ののろしを燃え上がらせていたのです。

初めのうち、ローマ教会は大して気にも留めていませんでした。というのは、それ以前にも異端を唱える者がいましたが、うまい具合に鎮定してきていたからです。が、この男は強固な意志と鋭敏な精神、それに加えて、完全な教養と深遠な学識の所有者であり、かつ教会の命令に反対して、自らを神の言葉と結びつけておりました。

破門宣告を目の前にし、殺すと脅かされながら、反抗的な多数の敵と少数の勇敢な共鳴者に、彼の言葉が鳴り響きました。曰く、「われ聖なる書にとらえられたり」と。

ルターのこの言葉には、宗教改革への言わずにはいられない衝動と霊感がともに感じられます。聖書の知識こそ、数百万の人たちをゆり動かした原動力でした。というのは、ローマ教会の人たちにとっては、教会だけが神による救済のたった1つの仲介者であったからです。生けるキリストが、教会の束縛から解き放されました。そして、命の福音が霊的奴隷であった人たちに命を与え、解放したのです。

しかし、教会の権威に挑戦し、聖書にとらえられた最初の人がルターであったというわけではありません。フランスのリヨンの実業家ワルドーは1170年ごろ、聖書の内容にひどく興味を抱くに至りました。ところが、ラテン語が読めなかった彼にとって、聖書は未知の本だったわけです。

そこで彼は、欲深い司祭を2人雇いました。2人は厳重な禁令を犯して、ワルドーのため南フランスの言語であるプロヴァンス語に聖書を訳出しました。聖書の内容はワルドーに強い感銘を与えたので、この熱血漢は商売をやめて、清貧の誓願を立て、神の言葉の中身を率直に宣べ伝えることに献身しました。1179年、ローマは彼の清貧の誓願に赦(ゆる)しを与える気になっていましたが、説教することは拒否しました。「ラテン語を知らない者に何の真理が語り得よう」というのが教会当局者の合言葉であったからです。

教会のラテン語は、聴き手をただ煙にまくだけでしたが、ワルドーが悔い改めを説くその言葉は、大げさではないが力強いものでした。ワルドーの謙虚な説教は、人々の魂を教え導きました。彼とその信奉者との説教は、大部分は聖書の長いくだりを自国語で読んで聴かせることでした。

聴衆の多くは聖書の高価な手写本を買うだけの余裕がなかったし、第一、教会当局者にとって、このような書物を奪い取ることは朝めし前の仕事でしたが、彼らといえども、人の心の奥で大切にしている神の言葉を抹殺することは不可能でした。このつつましい伝道者たちは、死者のために、施しも、ミサも無用であること、煉獄(れんごく※)は聖書的でないこと、司教による赦免は無効であること、祈りは仰々しい教会の中よりも、密室の人知れぬところにおいてなされる方が価値があること、赦しは教会の宣告によるものでなく、へりくだって罪を深く悔いる心の中にこそ見いだされるはずのもの、と主張していました。

※「煉獄」:死者が永遠を過ごす場所として、聖書は「天国」と「地獄」を明確に記しているが、まだ十分清められていない罪を浄化する場所としてカトリック教会の教義によって定められた。また、煉獄にいる死者のために祈ることも可能であるとする。免罪符が、死者の煉獄の苦しみを和らげるために寄進するよう勧められ、それがルターの宗教改革に結びついたことは周知のこと。

こういう教えが、誠実な弟子を獲得するとともに、猛烈な反対を引き起こしたのは無理からぬことです。1194年までにはもう、スペインのアルフォンソ2世が、ワルドーの信奉者に飲食物を与える者、さてはこの違法の伝道者のひと言にでも耳を傾けた者さえ、財産を没収し、迫害すると脅したのです。

1211年には80人のワルドー信奉者が自説撤回を拒否したために、ストラスブールで火あぶりの刑に処せられました。が、聖書の教えは、ドイツ、フランス、ボヘミア(現チェコ)、ハンガリー、ポーランドに広がりました。説教はこっそりやらなければならなかったので、良き訪れの伝道者は、大工、商人、鍛冶工、あるいは仕立人姿に身をやつしていたものです。

彼らは、1人でも聴き手のあったところには、この「友」たちに希望と信仰の福音を残してきました。「友」と彼らが言ったのは、実はこの語が、神の真理を喜び迎えた人々を識別するための彼らの合言葉だったからです。異端審問はこれら「友」たちを、呵責(かしゃく)なく狩り出しては抹殺してしまうので、ある土地では、彼らの証しはほとんど全滅させられています。

ところが真理の種はまかれ、その土壌に実を結びました。それは、誹謗(ひぼう)にさらされたウィクリフの勇敢な伝道でした。

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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏

ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』

世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。

宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。

本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。

ユージン・ナイダ

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浜島敏

浜島敏

(はまじま・びん)

1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。

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