2017年10月14日05時48分

聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―(38)写真展「記憶〜祈りのとき」福岡開催報告 中西裕人

コラムニスト : 中西裕人

2017年9月から始まった中西裕人写真展「記憶〜祈りのとき」も、最後の巡回地、福岡での開催を迎えることになった。

中州川端駅から徒歩2分のRDビル1階に入るキャノンギャラリー福岡にて、10月12日より始まった。銀座、名古屋とは違い、ここでの開催は2週間。今月24日までと期間も2週間と長いので、お近くの方は、ぜひ足をお運びいただきたい。

10月11日、会場設営が行われた。専門の業者を交え、1点ずつ丁寧に飾られ、スポット照明の効果で写真が浮き出る効果を狙い、多くの観客から「まるで、自分もこの地に入り込んだのではないか」という声が寄せられている。

聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―(38)写真展「記憶〜祈りのとき」福岡開催報告 中西裕人
聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―(38)写真展「記憶〜祈りのとき」福岡開催報告 中西裕人

「祈り」とは、「巡礼」とは、何のためにあるのか。

つい先日、yahoo!ニュースに、10月4日、栗原美季さんがナビゲートするラジオ日本の「Hello! I,Radio」に出演した際の記事が配信された。

実際に修道士たちと接し、彼らの「祈り」の生活から、初めは「苦行」をイメージして乗り込んだのだが、「みんなでお祈りする時間があるんですけど、そこから抜け出して、1人でエーゲ海を見ながら何かを思ってお祈りしてもいい。強制は全然ないんですよ」「それを僕はすごく伝えたいと思った。祈りや信仰というものは決して強制されるものではなく、一人一人の神との対話であるということ」とそこで話した。

今回の展示では、まさに、その時にお話ししたことを具現化したものとなっている。2014年から始めた取材の集大成、そして次なるテーマへつながる作品群ともなっている。

聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―(38)写真展「記憶〜祈りのとき」福岡開催報告 中西裕人

初日12日の福岡は気温も高く、清々しい朝を迎えたが、次第に曇り空に変わり、たまに雨粒を感じ、気温も徐々に下がり始めた。

初日の銀座ほどの集客はなかったが、数人の観客からは、「決して誰も見ることのできない世界ですね」「心が洗われた」「日々の生活で、忘れかけていたものを思い出した」など、うれしいお声を頂いた。

先日の「週刊新潮」の記事を握りしめていらした方や、山口県から来られた「ハルメク」の読者も観覧された。

聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―(38)写真展「記憶〜祈りのとき」福岡開催報告 中西裕人

ギリシャ正教の根幹ともなるべく、奉献礼儀の写真は、普段見ることのできない瞬間であり、至聖所の中で執り行われており、機密とされている。今回はM司祭の計らいにより、撮影がかなった。世界初、日本初とも言われ、正教関係者はじめ、多くの観客の注目を集めている貴重なシーンだ。

また、祈りの最中に修道士たちがただ1人聖堂の外へ出て、何かを思うシーンの数々もある。

祈りとは、神と一対一。すなわち、そこに強制のない姿が見受けられる。本来祈りとは、自分の中で神を感じ、人を思うことなのだと実感できると思う。

残すところ、あと10日でこの展示も終了する。この機会にぜひ足を運んでいただきたい。あなたにとって「祈り」とは何だろうか。写真を通して、一緒に考えることができたらと思っている。

現在開催中!
中西裕人 写真展:記憶~祈りのとき

<会期>
キヤノンギャラリー福岡 10月12日~24日
10:00~18:00(土、日、祝日休館)

写真展情報
記憶〜祈りのとき

ある晩の祈りの時、巡礼者たちはメモ帳に多くの名前を刻んだ。修道士はそれを受け取り、司祭に託す。司祭は、その名を小声で口ずさみながら聖パンを刻む。そこに書かれた名とは、家族や友人、知人の名前・・・。仕事仲間や病気で苦しんでいる友人など、自分以外の名前であった。ほとんど自分の名前は書かれないという。(われわれは普段、寺社へ行くと、だいたいいつも自分へのお祈りをすると思う)

そして、祈りが始まると、彼らは名を刻んだ人を思い、ひたすらに神と向き合う。この、人のために祈るという行動から私は、本来祈りとは人のことを「思う」ことなのではないかと感じた。

ある日、M司祭は私の兄弟の名を聞いた。聖堂で祈りが始まるとき、M司祭は聖パンを刻みながら、私の兄弟の名を呟いた。間違いなく、祈りの本質は人のためにあるものだと確信した瞬間だった。

祈りとは、きっと自分を取り巻く人のためにあり、神である(正教の場合は)キリストの力を借り、今生きている自分の身の回りの人のことを思うこと。その対象と一対一で向き合える時間なのではないか。争い事が多く起きているこの世の中で、今回の展示を通じて、今一度身近な人から人を「思う」ということを感じていただけたらと思っている。

私は会社員時代から、先日105歳で亡くなられた日野原重明先生を10年以上にわたり撮り続けてきた。先生は10歳の小学生たちに向けて「いのちの授業」と題し、日本全国の小学校で「いのちとは」ということを教え続けてこられた。

私は何度も撮影に同行させていただいたが、そこで先生は「いのちとは、自分で自由に使える時間である」と仰り、それを「人のために使う努力をしましょう」と説かれた。長生きをすれば、その時間は多くなると仰り、先生自身もつい先日までそれを体現されていた。

私は先生のその教えが、アトスで得た経験、正教の教えとがっちりと結びついたと感じた。私がアトスを撮る上で、先生の教えは土台ともなっていたのであった。

日本の正教会では、この人を「思う」という祈り、行動を、本来自分の過去に体験した出来事や知識を指す場合に用いる「記憶」という言葉で解釈している。

今回の展示「記憶〜祈りのとき」をご覧いただき、こんな時代だからこそ、祈りとは一体何のためにあるのか、その言葉、行動について、皆様と一緒に考えられる時間が持てたらと思っている。

聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―(35)写真展「記憶〜祈りのとき」開催へ 中西裕人

書籍情報

2017年8月31日発売
中西裕人著『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』

聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―(35)写真展「記憶〜祈りのとき」開催へ 中西裕人

原始キリスト教の伝統を色濃く残すギリシャ正教の聖地。俗世とは隔絶された環境で、家畜さえ雌を排除する徹底した女人禁制の下、生涯、この地に生きる2千人の修道士たちの祈りの日々――厳しい撮影制限のため、ほとんど知られることのなかった謎の宗教自治国の実像を、日本人として初めて公式に撮影した、驚きと感動の写真紀行!

<目次>
はじめに
第1章 アギオン・オロス・アトス
第2章 修道院の祈りと生活
第3章 冬のアトス 降誕祭
第4章 ケリに生きる修道士
第5章 「記憶」祈りのとき
アトス修道院に暮らして 性善説のキリスト教
日本ハリストス正教会司祭 パウエル中西裕一
写真解説
おわりに

中西裕人著『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』
B5判変型・175ページ
新潮社
定価5800円(税別)

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中西裕人

中西裕人

(なかにし・ひろひと)

写真家。1979年生まれ。東京都杉並区出身。日本大学文理学部史学科卒。外苑スタジオ勤務後、雑誌「いきいき」(現「ハルメク」)専属フォトグラファーを経て独立、雑誌、広告、webを中心に活動中。2014年に洗礼を受ける。父は日本ハリストス正教会司祭であり、年に数回共にアトスを訪れ修道士の生活などに密着した取材を続けている。