2016年10月12日20時04分

生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯(6)オガンガがやって来た!

コラムニスト : 栗栖ひろみ

アフリカのコンゴ地方。オゴーウェ河がギネア湾に流れ込む所で、一艘(いっそう)の蒸気船が停泊していた。そして、シュヴァイツァー夫妻を乗せると、ゆっくり幅広い流れをさかのぼって行った。

船はゆるやかに神秘的な原始林の中を進んでゆき、やぶの中の色とりどりの花やさまざまな種類の鳥に見とれているうちにランバレネの隣のンゴーモーの伝道所に着いたので錨(いかり)を下ろす。――と、2、3人の黒人が歌いながら長くて幅の狭いボートを漕いでやって来た。

そしてシュヴァイツァー夫妻を乗せると、長い竿で均等な打ち方をしてカヌーを進めていった。その間もずっと歌は続いていた。

ランバレネ伝道所は、オゴーウェ河上流の丘の上にあった。麓には急流が音を立て、後ろには平らな低地と沼地、そしてジャングルが広がっていた。それにしても、ヨーロッパ人には耐えられない暑さで、めまいを起こしそうになった。

「おや?」――と、シュヴァイツァーは首をかしげた。病院のために波形トタン作りの建物を建ててもらうよう約束してあったのだが、見当たらない。近くに材木の取引所があり、労働力は全て奪われてしまったので、工事に着手できなかったということだった。

伝道所の人が、彼と夫人のために建ててくれた白い小さな「ドクトルの家」に案内してくれたので、2人は取りあえずその中に自分たちの手荷物を入れ、75個の荷物を家の前に積み上げた。

とその時、驚くべきことが起こった。医者がやってきたということを早くも伝え聞いて、黒人たちが押し寄せたのである。黒い津波のようであった。彼らは全て病気やけがのために正視に耐えられないほどひどい姿をしていた。

シュヴァイツァーは荷を解いて医療器具や薬品を出すと、露天で診療を始めた。マラリア、ハンセン病、眠り病、赤痢、さまざまな種類の腫瘍、心臓病、そしてヘルニア(脱腸)。また、泌尿器の患者も多かった。彼らは家族全体でやって来たので、大変な騒ぎであった。

そこへ、七転八倒する男が担架にくくりつけられ、運ばれて来た。男は大声で喚(わめ)いているが、その意味が分からない。その時、1人の男が通訳をしてくれた。フランス語だった。

「彼はタブーとされているバナナを食べてしまい、後でそれと知って苦しみ出したそうです。彼は、おなかの中にいる人食い鬼を怒らせたので食べられてしまうと言っています」

この男はヨゼフ・アスヴァワミといい、以前白人の所で働き、コックをしていたので幾らかフランス語が話せるのだった。

シュヴァイツァーがこの患者を診察すると、バナナとは関係なく彼を苦しめているのはヘルニアで、すぐ手術をしないと危険な状態であった。そこでむしろを敷き、その上に載せると、この男は恐慌をきたし、暴れて手がつけられなかった。

またヨゼフがささやいた。「この辺りの者は、手術台に載せられると人食い鬼の手にかかって料理釜に持っていかれると考えています」

手術の前に、まず彼の恐怖を取り除いてやる必要があった。そこでシュヴァイツァーは子どもにそうするように手を頭に乗せてささやいた。

「怖がらなくていいんだよ。あんたはこれから眠る。そして目が覚めたときには、もう痛みはなくなっているよ」

そして、手早く麻酔の注射を打つと手術を行った。

しばらくして目が覚めた男は、不思議そうに目の前の医者を見つめた。――と、たちまち微笑がその顔に広がった。

「もう痛くない! 痛くない!」

そう言って、しっかりとシュヴァイツァーの手を握り締めるのだった。

「オガンガが来た! オガンガが来た!」

黒人たちはこう叫び、手を打ち、踊り回った。ヨゼフに聞くと、オガンガというのはピカピカ光る道具を使って魔術を行う人という意味らしかった。

そのうちシュヴァイツァーは、すさまじい太陽の熱にさらされて、これ以上露天で診療を行うことは難しいと感じた。そして、近くに使われていないニワトリ小屋があるのを見つけると、苦心の末、それを改造して仮の病院とした。

こうして彼は、毎日あらゆる種類の病人やけが人の面倒を見ることになったが、これらの黒人たちはすでにその生活の中に多くの苦しみや痛みを負っており、絶え間ない不安にさらされていた。

「ドクトルがここに来てから、毎日魔法が起こります」。1人の黒人少女が言った。

「ドクトルはまず病人を殺します。それから病人を治し、その後でまた生き返らせます」

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。