2016年7月16日13時52分

死から「いのち」に 穂森幸一(44)

コラムニスト : 穂森幸一

「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています」(Ⅰヨハネ3:14)

数カ月前のことですが、インターネットニュースに、真意のほどは分かりませんが、20歳若返る技術が開発されたとありました。

人の細胞には、老化を進めるシステムが組み込まれています。遺伝子の操作などにより、このシステムが逆に働くように組み込むと、皮膚の表面だけでなく内臓まで20歳くらい若返るというのです。

できたら老化は避けたいという願望が人々にあるようで、アンチエイジングを売りにした食品、栄養カプセル、体のケアなどさまざまなものが広告で溢れています。

今は夢みたいに思っていることも、数年後には実現しているということが、現実に起こっています。しかし、もし若返りの医療が実現し、望む人は誰でも受けることができるようになっても、そのことが幸せを招くかどうかは疑問に思います。

体の中で老化が最初に起こるのが、目の筋肉だといわれます。見えていたはずの小さな文字か見えなくなると、慌ててしまいます。私は最初、英語辞書の細かい字が読みづらくなったとき、自分の目は疑わずに、辞書の印刷の質が落ちたのかなと思っていました。

次に、何か目の病気かもしれないと思って眼科を訪ねました。眼科医の診察は「自然現象です。誰にでも起こることです」ということでした。

そして、手足の筋肉が衰え、噛む力が衰え、皮膚の表面も潤いが少なくなり、老いを実感するようになります。しかし、人間には必ずマイナスの面とプラスの面があります。身体能力の衰えに対して、増えていくものもあると思います。

旧約聖書の伝道者の書に「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に」(伝道者12:1)とあります。

老化が進むということは、この世での役割を終えて、神のもとに近づく、栄光の時が近づいていることではないかと思います。また、年をとるということは、経験値が増えて、思考が深まることであり、次世代の人々に助言することができます。

「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である」(レビ19:32)

もし医療技術の進歩で、20歳若返ることができるなら、あと20年働けということになります。20年、30年若返るということは、自分の子どもの世代になってしまうことになります。次世代の人々との衝突や混乱も予想されます。

自然な老化を迎えるということは、次世代へのバトンタッチの準備をしていくことでもあります。

私は最近、引っ越しをしましたが、不用品の山ができました。処分しなければいけない不用品に愛着を感じ、捨てられないまま20年たつと、とんでもない状況に陥ることを体験しました。

1人の人が生きていくのに、海外旅行に行くときのスーツケース1個分の荷物で十分だと聞いたことがあります。自分の身の回りをすっきりして、やがて天に召されるときに周りに迷惑をかけないようにしたいと思いながらも、不用品を大切に抱え込んでいます。

ある会社では、社員の結束のために数日間の山登りを体験させるそうです。自分たちで用いる食料、テントなどを自分たちで背負って登りますと、軽量化に工夫し、最低限度必要なものしか持っていきません。少ない持ち物を協力して使う助け合いの気持ちも出てくるそうです。

「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう」(イザヤ書46:4)

主なる神に背負われ、救い出されていることを学ぶときに、上手に年をとっていけるのかもしれないと思います。

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穂森幸一

穂森幸一

(ほもり・こういち)

1973年、大阪聖書学院卒業。75年から96年まで鹿児島キリストの教会牧師。88年から鹿児島県内のホテル、結婚式場でチャペル結婚式の司式に従事する。2007年、株式会社カナルファを設立。09年には鹿児島県知事より、「花と音楽に包まれて故人を送り出すキリスト教葬儀の企画、施工」というテーマにより経営革新計画の承認を受ける。著書に『備えてくださる神さま』(1975年、いのちのことば社)、『よりよい夫婦関係を築くために―聖書に学ぶ結婚カウンセリング』(2002年、イーグレープ)。

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