2016年4月7日21時03分

わが人生と味の道(28)娘の自立 荘明義

コラムニスト : 荘明義

娘の自立

娘の明恵は、小さい時からアメリカンスクールで学びました。息子も初めはアメリカンスクールに行っていたのですがなじめず、途中でやめて日本の学校に移りました。

娘は幸いなことにアメリカンスクールに入学し、同級生と共に生活することになりました。この学校では子どもの成長が少し早いようで、お酒やタバコなど、いろいろと大人がやりたがることをまねるのも早いようでした。

ある時、娘が友達を家に招き、一緒に勉強するということが心配になってきました。妻が娘の部屋を片づけていると、洋服ダンスの中に小さい飴の缶を見つけました。中を開けてみたら、何とタバコの吸い殻が入っていたのです。

そうか――と、私は気付きました。娘は私たちが寝静まった後、友達と勉強をしながら、もしかしたらこういうものを吸っていたということがあるかもしれない。娘に、こういうものを吸うことについて教育すべきか?などいろいろと考えました。

そして、娘を呼んで缶を前に置いて叱る――というやり方をするのではなく、その缶の中に手紙を書いて入れたのです。今までタバコについて十分な説明をしていなかったこと、それがいかに体に良くないかということ等々。そして、私たちは彼女がいつ友達を呼び、その缶を開けるか心待ちにしていました。

そしてある日のこと。その友達が家に来て、2人は夜中に勉強をし、その缶を開けたのです。すると、父親からの娘への愛と、心配のこもった手紙を読んだその友達が感動し、娘に言ったのです。

「ねえ、もう絶対にタバコを吸うのはやめようよ」と。そして、2人はタバコと縁が切れたのでした。知恵をもって子どもを教育しなくてはならないことを、その時教えられました。

娘は15歳の時にボーイフレンドができ、16歳になった時にはバイクに乗りたいと言い出しました。彼女がバイクに乗ることは賛成できませんでしたが、16歳になったらバイクに乗ることを国が許可しているので、娘はどうしても免許を取りたいと言います。

そこまで禁止することはできなかったので、彼女が免許を取ることを認めました。すると、免許をもらった翌日、妻の弟からバイクが二台あるので――と、1台が届きました。私は娘に次のようなことを約束させました。

「バイクに乗るのは、国が認めていることだから許可します。でも、気を付けてください。バイクに乗るときには必ず長袖のシャツと長ズボンを身に付けること。そして規則をきちんと守ること。それから、何かあったらすぐに親に連絡してください」と。

こうして、バイクに乗ることに関してはずいぶん心配したものですが、娘は楽しそうにバイクに乗って1日を過ごしていました。

ある時、こんなことがありました。3人でハワイ旅行に出掛けるという前の日に、娘から電話がありました。

「パパ、バイクのタイヤがパンクして転んじゃった!」

すぐに車で迎えに行き、病院に連れて行きました。両膝と、両手両足の皮がすりむけていました。幸い長袖のシャツ、長ズボンだったのですりむき傷は被ったものの、けがは軽いようでした。

両手を包帯でぐるぐる巻きにした娘を連れて、そして包帯と薬も持参して、私たちはハワイに旅立ちました。もちろん、そんな状態なので娘は海に入ることはできませんでした。

前もって娘と約束ができていたので、彼女から電話があったとき、落ち着いて迎えに行き、病院に連れて行くことができたのです。もし、約束ができていなかったら、そこでもう私たちは娘を失ってしまったかもしれなかったのです。心から神に感謝をしました。

この娘も、16歳でボストンに留学し、そこで勉強に励み、卒業式には私と妻、そして息子が参加しました。妻は娘が日本に帰ってくると思っていたのでとてもうれしそうでした。娘がそばにいるということは、母親にとってとても必要なのでしょう。この時、娘にはボーイフレンドがいました。

その夜、私たちは娘を連れて、ボーイフレンドとその母親と共に食事をしました。その時、初めて娘は、卒業後は日本に帰って母親と一緒にいるという答えを出さずに、ボストンにそのまま残り、現地で結婚したいという自分の意志を口にしたのです。

私の妻は、娘が帰ってくるという希望を持っていたのが、一度にそれが失望に変わってしまいました。彼女はショックで食事も喉を通らない――といった様子でした。娘の希望は、4カ月後に結婚し、そしてボストンに永住することだったようです。

彼女は一度日本に帰ってきたので、私たちは、「これが神様に許され、祝福された結婚であるなら同意しましょう。また、もしこれが神様の時でないなら、神様は違う方法で2人の結婚を見守ってくれるでしょう」と、落ち着いた中で語り合うことができました。

もし、私たちがクリスチャンでなかったならば、悲しみや苦しみに耐えられないことがあったかもしれません。神は娘を導いてくださり、一歩一歩成長させてくださったのです。そのことに心から感謝したのでした。

日本に戻ってから妻と、「神様、知恵をください」と祈った後、話し合いました。

「もしか反対しても、2人の気持ちが変わらなければボストンに残り、結婚し、親子の関係が壊れ、寂しい思いで何年も過ごすことになりますよ。もう大人だから、自分の意志で決めるでしょう。多くの親子の失敗は、子どもをいつまでも自分の所有物にしていることかもしれません。娘の考えに従ったほうが親子の関係は良いのですよ」と。

妻もその答えに同意し、平安になり、神様に2人のことを委ねることにしました。

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荘明義

荘明義

(そう・あきよし)

1944年中国・貴州省生まれ。4歳のときに来日、14歳で中華料理の世界に入り、四川料理の大家である故・陳建民氏に師事、その3番弟子。田村町四川飯店で修行、16歳で六本木四川飯店副料理長、17歳で横浜・重慶飯店の料理長となる。33歳で大龍門の総料理長となり、中華冷凍食品の開発に従事、35歳の時に(有)荘味道開発研究所設立、39歳で中華冷凍食品メーカー(株)大龍専務取締役、その後68歳で商品開発と味作りのコンサルタント、他に料理学校の講師、テレビや雑誌などのメディアに登場して中華料理の普及に努めてきた。神奈川・横浜華僑基督教会長老。著書に『わが人生と味の道』(イーグレープ)。

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