2016年1月10日20時51分

時の流れに身をまかせないで 安食弘幸(34)

コラムニスト : 安食弘幸

「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(Ⅱコリント4:16)

ギリシャ語には、時間を表す言葉が二つあります。一つはクロノス。もう一つはカイロス。

クロノスは1秒1秒を刻む時刻的な時であり、カイロスは歴史の中の、ある決定的な時間を指す状況的な時です。「カイロスとは、価値あるものに気が付くようにさせてくれる絶対的な時間である」と定義する学者もいます。

クロノスで示される時の流れの中に、カイロスと呼ばれる私たちの精神世界に決定的な意味をもたらす時間は、どのようにして訪れるのでしょうか。

① 飢え渇いた心を持つ

私たちの心の中に精神的な渇きがあって、それを求めていなければ、カイロスの存在に気付くことなく通り過ぎてしまいます。求めないと何も得られません。求めることによって、それに反応する力が与えられるのです。

聖書に「求めよ、さらば与えられん」とある通りです。

キリスト教徒を迫害していたパウロが、ステパノの殉教を目撃することで、彼の心の中に大きな渇きが生まれました。

それがダマスコ途上での劇的な回心へとつながりました。まさに目からうろこが落ちて、今まで見えていなかったものがはっきりと見えるようになったのです。

迫害者パウロは、宣教者パウロへと変えられたのです。

② 謙虚な心を持つ

フランスの作家サン・テグジュペリは『星の王子さま』の中で、「たいせつなことはね、目に見えないんだよ・・・」と言っています。

たんたんと続く周期的な時の流れ、クロノスに流されないで、その中で価値ある発見や意味ある決断をするためには、謙虚な心が必要です。謙虚な心は、真実を見る心の窓のようなものです。

ニューヨークのリハビリテーション研究所の病院の壁に、患者が貼った詩「病者の祈り」を紹介しましょう。

謙虚な心を持った人だけが理解できる人生の幸いが歌われています。

「私は目的を達成するために 神に力を求めた、
しかし、神は謙遜を学ぶために 弱いものとされた。
私はさらに偉大なことをするために 神に健康を求めた、
しかし、私はさらに良いことをするために 病弱を与えられた。
私は幸福になるために 神に富を求めた、
しかし、私は賢くなるために 貧しさを与えられた。
私は人々の称賛を求めるために 神に権力を求めた、
しかし、神の前にひざまずくために 弱さを与えられた。
私は人生を楽しむ全てのものを 神に求めた、
しかし、神は全てのものを楽しむために 命を与えられた。
私は自分の求めた物は 何も与えられなかった、
しかし、私は 望んでいたものは 全て得た、
私の祈りは 知らず知らずのうちに応えられた、
私は全ての人のうち、もっとも豊かにされたのである」

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安食弘幸

安食弘幸

(あんじき・ひろゆき)

峰町キリスト教会牧師。1951年、島根県出雲市に生まれる。関西学院大学社会学部卒。大学時代は硬式野球、関西六大学リーグのスラッガーとして活躍。関西聖書学院卒。セント・チャールズ大卒(哲学博士)。JTJ宣教神学校講師、国内外の教会や一般企業、ミッションスクール、病院、福祉施設などで講演活動を行っている。著書に『キリストを宣べ伝える―コリント人への手紙第二』『心の井戸を深く掘れ』『道徳力―モーセの十戒に学ぶ―』『ルツの選択、エステルの決断』など多数。

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