2015年9月6日18時09分

なにゆえキリストの道なのか(4)多くの宗教の中で正しい宗教を見分ける基準は何か 正木弥

コラムニスト : 正木弥

多くの宗教の中で正しい宗教を見分ける基準は何か

宗教は本来、人間の思索・哲学を超える深い真理や神秘的な事柄に立って、主として人生を、ときに社会や民族の歩みを導くものです。その深さ・神秘性の故に一時期一地方に住む人間から見て、その正邪・善悪の基準からはみ出ることが皆無とはいえません。

一般に、宗教は良いことを勧めます。だから多くの人がそれに共鳴するのです。しかし、他方で、明らかに正義に反し、あるいは道徳を損なう宗教もあるものです。いわゆる“淫祠邪教”(いんしじゃきょう)の類です。

例えば、
① 金銭をみだりに要求するもの
② 犯罪をそそのかすもの
③ 結婚によらない性関係をすすめるもの
④ 信徒を僧職者(指導者)の奴隷的立場にしようとするもの

などがあります。しかし、これらは外から見てすぐに分かるとは限りません。そこで、最低限の3つの判断基準をお示ししましょう。

(1)その宗教が長期間(少なくとも500年以上)存在し、活動してきたものであること

それだけの期間を多くの人々が検証してきたということは、ある種の正しさを示すものといえるでしょう。逆に、昨日や今日にできたばかりの銀行に全資産を預けることはしません。それと同様に、新興宗教はまだ検証されていないという意味で、危なっかしいといえるでしょう。

(2)一人の人間が造り上げた宗教でないこと

人間の頭脳は宗教をも造り出すことができます。多方面の帰依を得ようとして人間の歓心を優先します。その分だけ深さや真実さがなくなります。個人的野心や邪心が働きます。人間が造り出したものは人間を救うことはできません。人間はどこまで行っても人間であって、自分すらもどうにもできないのです。

(3)歴史などの事実性に裏付けられたものであること

作り話や“方便”に自己を託することはできません。事実に裏付けられることが大切です。なぜなら、事実に基づかないで、心理的想念だけで組み立てられた宗教は、客観的な正しさを確認できないからです。ある特定の悟りを強調して間違った方向に暴走した例もたくさんあります。従って、宗教的真理もまた歴史など客観的事実によってある程度は検証されねばなりません。

少なくともこれら3つの基準を満たすものを選びましょう。

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正木弥

正木弥(まさき・や)

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

【正木弥著書】
『なにゆえキリストの道なのか 〜ぶしつけな240の質問に答える〜 増補版』
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)