2015年6月13日12時20分

聖書をメガネに 目に見えない創造者の目に見える御業(その1)

執筆者 : 宮村武夫

美術、さらに芸術一般を聖書をメガネに考える上で、以下の興味深い聖句に出会い、思索を続けたく願っています。

「主よ。あなたは、あなたのなさったことで、
私を喜ばせてくださいましたから、
私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。」
(詩篇92:4 新改訳)

「主よ、あなたは
御業を喜び祝わせてくださいます。
わたしは御手の業を喜び歌います。」
(詩編92:5 新共同訳)

「主よ、あなたはみ業をもって
わたしを喜ばせてくださいました。
わたしはあなたの手の業を喜び歌います。」
(詩編92:5 フランシスコ会訳)

ここには、少なくとも3つの基点が提示されています。

  1. 目に見えない創造者が目に見える御業を創造なさった。
  2. 目に見える御業をもって、目に見えない創造者が人間・私を喜ばしてくださる。
  3. 人間・私は、受け身として喜ばしていただくだけではなく、主体的に創造者の手の業を喜び歌う。

さらに根源的には、「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった」(創世記1:31)とあるように、目に見えない創造者が目に見える御業を良いものとして、喜んでおられるのです。ここにこそ、クリスチャントゥデイに多様な展開を期待する全ての芸術活動、文化活動の記事の基盤を見出します。(続く)

(文・宮村武夫)

■ 目に見えない創造者の目に見える御業:(1)(2)(3)