2014年8月25日16時51分

クリスチャンの求めるもの(5) 徐起源

コラムニスト : 神内源一

恵那レーマミニストリー

あの放蕩息子が帰っていきました(ルカ15章)。「in Christ」の状況で帰っていったのです。旧約の中では、「in Christ」ではないので帰ってはいけない。

この奥義を知るとき、日々の生活の中で、自分がああした、こうした、間違ったという考えではなく、キリストの中にあって私は正しい、キリストの中で私はゆるされている。こういう生き方の中であの放蕩息子は何もしていないのにいい服を着て、いい物を食べました。それは「in Christ」という奥義によってなのです。

私たちはキリストの中にある自分を見失ってはいけません。サタンはそれを忘れさせようとします。お前はなにをしているのだ?周り(現実)を見てみろ、と。しかし、私たちはキリストの中にある自分を思い出すとき、誰も倒すことができない、神を見ても死なない、神の正しさを持っているのが分かります。

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」(2コリント5:21)

「この方にあって」=「in Him」=「in Christ」です。あなたはイエス様を信じて、キリストの中にありますか?それならあなたは言わなければなりません。「私は神の義を持っています。神を見ても、天国に帰っても私は死なない!」

まばゆい近づけない光に神はおられるのですが、私たちはイエス様の中にいるのでその光の中に入っていける。私たちは新しい人になったのです。古い人があってもそれは気にしてはいけません。イエス様によってその代価を払われたからです。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(2コリント5:17)

私たちは全てが新しくなったと言っています。多くのクリスチャンは「in Christ」を見失っているので、自分が全て新しくなったと思っていない。古い人を良くしようと思っています。古い人は死んだのです。どういう人が新しい人なのですか?17節「だれでもキリストのうちにあるなら」です。聖書を読むとき、なぜクリスチャンは元気になるのでしょう。それは私たちが新しい人だからです。立派でなくていい。遊女や取税人が先に神の国に入っていると言っています(マタイ21:31)。

私たちは正しくあり続けることができないのです。しかし、キリストの中にあるから、ゆるされている、キリストの中にあるから、罪に定められないのです。

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです」(ローマ8:1~2)

アダムが善悪の知識の木の実を食べたとき、私たちは「罪と死の原理」に捕らわれてしまいました。神に近づけない中にあったのですが、イエス様が私たちのために身代わりとなられたことによって、イエス様がいけにえになられたことによって、今、私たちが祭司となり、きよいものとなり、新しい人になったので、私たちは罪のない、神の義を持っている者になったのです。それゆえに「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある(in Christ)者が罪に定められることは決してありません」

パウロも私たちのようにクリスチャン生活をしていて同じように苦しみを持ったのです。しかし、「in Christ」の思いで解決していったのです。

「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています」(ローマ7:15~19)

私たちの中に、してはいけないことをしようとする自分がある。また、してしまう自分がいるので、悩んでいる人はいますか?その答えをパウロはどう言ってますか?パウロにも神に近づけないようなことをする自分がいました。

「もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です」(ローマ7:20)

パウロは罪を行うのは自分ではないと、自分の古い人はイエス様の身代わりで死んだのだと言いました。今、イエス様が自分のうちに生きているので、新しい人なのですから、「もはや私ではなくて、私のうちに住む罪」が勝手にしているのだと言いました。

この「in Christ」の意識の中で――もちろん罪を犯したら、悔い改めをしてください――新しい自分を見ているとき、あなたは罪の中にいないのです。だから、私たちは胸を張って天国に入っていけるのです。私たちは素晴らしい恵みの中にあることを意識していきましょう。(続く) 

■ クリスチャンの求めるもの:(1)(2)(3)(4)(5)(6)

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徐起源(そう・きうぉん)

ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。

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