2014年8月22日11時12分

クリスチャンの求めるもの(4) 徐起源

コラムニスト : 神内源一

恵那レーマミニストリー

もうひとつ見ていきましょう。私たちは「in Christ」であることを自覚しましょう。多くの人は罪を犯して落ち込んでいったり、神に近づけなかったりします。「罪を犯したので、聖餐式が怖いです」と、いうことがあります。そうではなく、私たちはキリストの中にあるのですから、私たちは正しい者です。

聖書の中には、ミステリー=奥義が隠されています。今までサタンは教会の歴史の中で、また、教会の回復の中で隠していたことがありました。それは、この「奥義」をクリスチャンが、教会が知ったら、私たちにとってサタンが敵でなくなり、クリスチャンが、教会が大胆に神に近づいていくものになるからです。これはサタンが私たちに知ってほしくないものなのです。

「これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現わされた奥義なのです。神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです」(コロサイ1:26~27)

私たちの中にイエス様がおられます。このイエス様が「奥義」なのだ。キリストの中にいる=in Christ、これが「奥義」なのだと。私たちがイエス様の中にいるという「奥義」。

イエス様は十字架に架かって死なれ、私たちの罪を払ってしまわれたから、私たちは聖いものなのだ。私は「in Christ」、キリストの中にある者として神の元に行くことができる。この「奥義」を私たちが自覚するとき私たちは変わるのです。

コリントの信徒への手紙一1章2節には「キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方」と書かれています。

また、「すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです」(1コリント15:22)

「In Christ」とは、キリストの中で生かされるのです。

「この方にあって私たちは、その血による贖い(あがない)、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです」(エペソ1:7)

「In Christ」によるのです!

なぜ旧約の人は幕屋の奥に入っていけなかったのか。なぜ、まことの神を見たら死んでしまうのか。それはあることがなされていなかったからです。今は、私たちは「in Christ」によってあることが神との間で起こっているのです。私たちはイエス様によって、神との「和解」ができているのです。

アダムとの和解が済んでいるのです。あなたとの和解が済んでいるのです。あなたの犯した罪の和解が済んでいるのです。未来に犯すであろう罪の和解も済んでいるので、イエス様によって「in Christ」。キリストの中で、神に近づける者になっているのです。

そして神を見ても死なない者になっているのです。神のもとに行っても死なない、そして、神のもとに帰って行くことができる。これが私たちクリスチャンの本当の喜びなのです。

「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです」(2コリント5:19)

どうして私たちは神との和解ができているのでしょうか。

「すなわち、神は、キリストにあって(=in Christ)、この世をご自分と和解させ」られたのですね。あなたが神様の前に立つとき、自分のありのままの姿で立つなら、誰も立つことができません。私たちは自分では神のもとに行けないし、正しくないから祈りもかなえられない者です。

ところが、イエス様が私たちの身代わりとなったので、イエス様の義、イエス様の聖さ、イエス様の中の贖いによって、私たちはキリストにあって「違反行為の責め」を負わさせられない者になっているので、この神のもとに帰って行けるのです。この奥義です。(続く) 

■ クリスチャンの求めるもの:(1)(2)(3)(4)(5)(6)

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徐起源(そう・きうぉん)

ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。

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