
動物が好きな私は、キリスト教に深く傷ついてもきました。牧師先生の中には「動物は天国に行けない」ときっぱりと言われる方もいるからです。
しかし、動物たちは元来のヒーラーのように、人間を癒やす力すら持っていることが徐々に証明されてきました。わが家も猫2匹の醸し出す雰囲気に、どれほど守られていることでしょう。動物たちや自然界の放つ優しさに、大気も影響を受けているのではないかと思うほどです。
私がキリスト教で受け入れられなかった概念の一つが、長く動物をいけにえにしてきたことでした。しかし、どうでもいい存在だから人間の罪を着せて、いけにえにささげたのではないと思い至りました。尊い存在だからこそ、神様へのささげ物にふさわしかったはずなのです。
ローマ書8章22節には、被造物が人間と共にうめき、共に苦しみ、救いを待ち望んでいることが記されてあり、詩編36編7節にも「主よ、あなたは人も獣も救ってくださいます」と歌われています。
今人間の地球環境の汚染によって、動物たちも苦しんでいます。人間の罪のなかったエデンでは、動物たちが血を流すことなど書かれておらず、自然界との平和な完全調和のあった様子がうかがえます。イザヤ書11章6〜9節には、動物界との調和が回復される様子が預言されています。
私は食器用洗剤を使うことをやめました。せっけんで洗い、食洗器の洗剤もせっけんを使うことにしました。今、1週間に3台のケーキを焼き、毎日編み物をし、たくさんの恵みを与えられ、そんな余裕のある日々が、地球環境のことも考える余裕を与えてくれたのだと思います。
朝目覚めると、カーテンを開き、窓を開けます。ピィピィとかわいらしい鳥たちの声を聴いてから一日を始めるのです。人間は自然界を好き勝手にしていいと任されたのではなかったはずです。自然界を任された、相応の責任があったはずです。
クマの被害も毎日のように報道されていますし、被害に遭った方たちのためにも祈りが必要です。しかし、また自然界に人間が与えた悪影響からも、目をそらしてはいけないと思うのです。
人間は神の似姿として、特別な役割を与えられています。しかし、その特別さは支配する権利ではなく、守る責任でもあるのではないでしょうか。
小さな主婦ではありますし、そんなことを考える余裕もない生活を長く送ってきましたが、台所から、地球環境も含んだ世界の平和を祈っていたいと思うこの頃です。
恐ろしいほどの雨が降り、風がごうごうと鳴る日も増えました。これから来る夏は、異常な暑さでありましょう。そんな日には、神様に被造世界を託された人間の責任についても考えさせられるのです。
(絵・文 星野ひかり)
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