2026年4月8日15時13分

キリストの心と思いが与えられている恵み(16)憐れみと忍耐を通して体験できる真の自由 加治太郎

コラムニスト : 加治太郎

主の御名を賛美いたします! 私たちは、家庭や職場、教会での人間関係において、時にいら立ちや怒りを感じてしまうことはないでしょうか。

そのような時、私たちの心の焦点は、どこにあるでしょうか。振り返ってみると、いつの間にか周囲の人々に仕えることを忘れ、自分のことばかりに心が向いていたのかもしれません。私はそのような時にこそ、主が私たちに「憐(あわ)れみ」と「忍耐」を求めておられるのだと信じます。

そのためには、キリストがいつもされていたように、私たちも、日々静まって主に祈り、主の御声を聞くことが、とても大切です(参照・マルコ1:35)。そこで得た力によって、私たちは他者に仕えることができるのです。

しかし、これをいつも実行し続けることは、簡単なことではありません。

こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。(へブル12:1、2)

私たちに対する主の憐れみと忍耐を覚えながら、私たちはたとえ自分にとって居心地が悪かったり、不便だったりする状況にあっても、憐れみと忍耐を働かせ、他者に仕えることができます。実は、そうすることによって、私たちは自己中心という縛りから解放されるのです。

この世のあらゆる事柄が文字通り、私たちのコントロールが及ばないものである以上、自分の望むものばかりを追い求めることには限界があります。それにより、さらにいら立ちが増すことにもなります。ですから、論理的に考えても、他者に仕えることを選ぶ方が、私たち自身にとってより大きな益となるのです。

この地上での生涯において、私たちは常に自己中心と戦い続けなければなりません。そのためには、忍耐し続けることを学ぶ必要があります。憐れみと忍耐をもって他者の必要に応え続けるならば、私たちはこの地上においても、祝福に満ちた人生を送ることができます(参照・ルカ6:36、ヤコブ1:2~4)。

今日、憐れみと忍耐をもって周囲の人々に仕えることに、心の焦点を合わせましょう。これは難しいことのように聞こえるかもしれませんが、実際にはそうではありません。なぜなら、憐れみと忍耐に満ちたキリストの御霊が、私たちのうちに住んでおられるからです(コロサイ1:27)。

GOD BLESS YOU!

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※ 本コラムでは、特に断りのない限り、聖書の引用は口語訳を使用しています。

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加治太郎

加治太郎

(かじ・たろう)

2000年に在ニュージーランド、オークランド韓人教会で受洗。05年より音楽賛美ミニストリーをスタートし、日本各地、韓国、中国、米国などを巡回。CDリリースや、毎週、沖縄と鹿児島でラジオ番組も行い、福音を伝える働きを進める。07年にはクリスチャン社会人を励ますことをビジョンにSPREADミニストリーをスタートし、東京、千葉、埼玉、名古屋などで定期的に15年まで集会を行う。19年には世界の東と西をつなぐことをコンセプトに、広告代理店 Taro Kaji Office, LLC を設立。16年からは家庭礼拝を中心に、20年には東京ベイバイブルフェローシップをスタート。キリストを通して、人々が満ちあふれるほどに豊かな人生を歩むことに情熱を注ぐ。妻と一男一女の4人家族。